島の山古墳とは? わかりやすく解説

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島の山古墳

名称: 島の山古墳
ふりがな しまのやまこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 奈良県
市区町村 磯城郡川西町
管理団体 川西町
指定年月日 2002.09.20(平成14.09.20)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 島の山古墳は,奈良盆地中央部大和川を望む微高地上に立地する前方後円墳である。現存190m後円部径105m以上,前方部幅95m以上の大型古墳であり,墳丘周囲には幅約40mの周濠がめぐる。墳丘周濠水の浸食受けているため,本来は全長200m上であったと推定される平成8年奈良県立橿原考古学研究所により,前方部において,主体部粘土槨発掘された。
 粘土槨は,長さ10.5m,幅3.4mの墓坑内構築され規模全長8.5m,幅約2mである。長さ7.5mのコウヤマキ割竹形木棺中央安置し粘土2度わたって被覆している。内には,被葬者安置され部分水銀撒かれ頭部付近からは銅鏡3面石製合子3点管玉5点胸部付近からは首飾りとみられる管玉手首付近からは管玉・丸玉をつなげた腕輪出土し鉄製刀子竪櫛副葬されていた。
また,鍬形石車輪石石釧などの石製腕飾類133点が2面ある被覆粘土の間から出土した。さらに上、1度目被覆粘土上,2度目被覆粘土上からは合計2,500点を越える玉類も検出されている。これらは連なっていたもの切り離し,ばら撒いた状態であったこうした石製品は避邪などの呪術的な意味を持ち当時埋葬儀礼様子を示すものと考えられる副葬品武器見られない点から,この主体部被葬者女性である可能性指摘されている。
 後円部墳頂には盗掘坑がある。周辺に島の山古墳から運び出されたと伝えられる石材存在することから,本来,竪穴式石室存在した考えられるが,現在は確認できない。島の山古墳出土品伝えられる採集遺物多くは,この石室出土品推測されるが,やはり石製腕飾類が数多く含まれ粘土槨出土品同様の副葬品存在したものと考えられる。なお,くびれ部付近でも大型車輪石採集されており,前方部には未知主体部存在する可能性もある。
 また、平成9年度から11年度にかけて墳丘部分調査おこなわれ段築葺石後円部取り囲む敷石遺構第1・2段テラス埴輪列が確認された。
 主体部副葬品埴輪などの特徴から,島の山古墳は4世紀末頃に築造された古墳である。大型墳丘豊富な副葬品から奈良盆地の有力首長墳墓考えられ当時大和政権動向を知る上で欠かすことのできない古墳であり,当時埋葬儀礼具体的に示す点でも貴重である。よって,史跡指定し保護図ろうとするものである
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史跡:  岩屋山古墳  岩戸遺跡  岩舟古墳  島の山古墳  島田宿大井川川越遺跡  崇福寺跡  崎山貝塚

島の山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/31 00:05 UTC 版)

島の山古墳

墳丘(右に前方部、左奥に後円部)
所属 馬見古墳群(北群)
所在地 奈良県磯城郡川西町唐院
位置 北緯34度35分2.0秒 東経135度45分56.6秒 / 北緯34.583889度 東経135.765722度 / 34.583889; 135.765722座標: 北緯34度35分2.0秒 東経135度45分56.6秒 / 北緯34.583889度 東経135.765722度 / 34.583889; 135.765722
形状 前方後円墳
規模 墳丘長200m
埋葬施設 竪穴式石室、粘土槨
出土品 埴輪、装身具、鉄刀
築造時期 4世紀末-5世紀初頭
史跡 国の史跡「島の山古墳」
有形文化財 出土品(国の重要文化財
特記事項 全国第36位の規模[1]
地図
島の山古墳
テンプレートを表示
島の山古墳の空中写真
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

島の山古墳(しまのやまこふん)は、奈良県磯城郡川西町唐院にある古墳。形状は前方後円墳馬見古墳群北群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。

概要

川合大塚山古墳の東方約1キロの寺川左岸上の微高地に築造された。別名島根山古墳。周辺の古墳とともに三宅古墳群を形成する。 盾型の周濠を含めた長さは265メートル、幅175メートルである。東西くびれ部には造り出しがある。墳丘からは葺石埴輪列(朝顔形円筒、家形、型、形)が検出された[2]。また平成17年(2005年)度に行われた第10次調査において、西側くびれ部から祭祀に用いられたと考えられる植物製のが出土した[3]

当古墳の位置は大和盆地の河川が合流する場にあり、交通の要所を押さえた場にあることが大塚山古墳群と共通している。また川合大塚山古墳と島の山古墳の墳形規格が同じであるという点からも、この二つの古墳は関係が深いとみられる[2]

この古墳に関する記述は古く、江戸時代の学者である木内石亭が著した「雲根志」に「神代石」という名で、この古墳から出土した鍬形石が記されている[3]

埋葬施設

後円部中心に竪穴式石室があるようで、石室天井石が周囲に持ち出されている。石材は兵庫県の竜山石である。過去の盗掘で副葬品の多くは持ち出された[2]。その際に散逸したと思われる遺物は、一部アメリカの博物館にも展示されている[3]

1996年の調査で前方部頂から粘土槨が検出された。東西10.5メートル、南北3.4メートルの墓坑内に全長8.5メートル、幅1.7~2メートルの粘土槨があり、その棺外には滑石製勾玉、臼玉、管玉、琴柱型石製品など2500点が散在していた。棺上粘土からは車輪石80、鍬形石21、石釧32、鉄小刀5が封じ込められていた。棺内には碧玉製合子3、銅鏡3、大型管玉5、竪櫛11、首飾り1、手玉1があった。手玉の存在から被葬者は女性の可能性がある[2]

また、墳頂のくびれ部から前方部にかけて大型の粘土槨が存在していることが確認された[2]

文化財

重要文化財(国指定)

  • 奈良県島の山古墳出土品(考古資料) - 明細は後出。所有者は国(文化庁)。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館保管。1998年(平成10年)6月30日指定[4]

国の史跡

  • 島の山古墳 - 2002年(平成14年)9月20日指定[5]
国の重要文化財「奈良県島の山古墳出土品」の明細
  • 獣形鏡 3面
  • 玉類
    • 碧玉大形管玉 5箇
    • 碧玉管玉 52箇
    • 碧玉細管玉 29箇
    • 碧玉大形飾玉 1箇
    • 碧玉丸玉 15箇
    • 滑石玉類 一括
  • 鉄小刀 6口
  • 鉄刀子 4口
  • 碧玉石釧 31箇
  • 碧玉車輪石 81箇
  • 碧玉鍬形石 21箇
  • 碧玉合子 3口
  • 琴柱形石製品 1箇

脚注

  1. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
  2. ^ a b c d e 河上邦彦 『大和葛城の大古墳群・馬見古墳群』(シリーズ「遺跡を学ぶ」026)、新泉社、2006年
  3. ^ a b c 川西町の文化財 川西町 Archived 2016年3月4日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 奈良県島の山古墳出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ 島の山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目

外部リンク



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