岡崎市歌とは? わかりやすく解説

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岡崎市歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/23 04:40 UTC 版)

岡崎市歌(2代目)

市歌の対象
岡崎市

作詞 北原白秋1937年4月25日
作曲 山田耕筰(1937年5月3日
採用時期 1937年7月1日
(制定告示は1962年4月1日
言語 日本語
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「岡崎市歌」(おかざきしか)は、日本愛知県岡崎市が制定した市歌である。以下の2代が存在する。

  1. 1916年(大正5年)制定。作詞および作曲・鳥居忱
  2. 1937年(昭和12年)制定。作詞・北原白秋、作曲・山田耕筰

現在の市歌は2.である。2006年に岡崎市へ編入合併された額田郡額田町の旧町歌については「額田町町歌」を参照。

解説

「岡崎市歌」は初代・2代目のどちらも歌詞・旋律の両方が著作権の保護期間を満了し、パブリックドメインとなっている。

初代(1916年)

岡崎市歌(初代)

市歌の対象
岡崎市

作詞 鳥居忱
作曲 鳥居忱
採用時期 1916年7月1日[1]
採用終了 1937年6月30日(2代目市歌制定)
言語 日本語
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初代の「岡崎市歌」は1916年(大正5年)7月1日に愛知県で3番目となる市制施行を記念し、東京音楽学校教授の鳥居忱が作詞・作曲したものである[1]。また、この市歌とは別に「市制施行祝歌」(作詞:柴田顕正、作曲:鈴木毅一)も作成された[1]

歌詞(初代)
一、
家蔵愈々立 やぐらいよいよた ひて  かねても めるこの さと
町並 まちなみ ととのひて  いまこそ とは りにけれ

二、

ひがし えびすきためむと  雄々 おおしき 皇子 みこ 矢矧川 やはぎがわ
川水 かわみず よどみなく  唯一筋 ただひとすじ すす さと

三、

三河 みかわ 武士 ぶし むかしより  おくれを らぬ こころもて
旦暮開 たんぼひら みちを  唯一筋 ただひとすじ すす さと

四、

大君 おおきみ おぼ す  御代諸共 みよもろとも さと
よろず いえ 人々 ひとびとの  はげむにつれて さか

2代目(1937年)

昭和期に入ると初代市歌は「歌詞も文語体で時代に合わなくなってきた」ものと考えられたため[2]、1936年(昭和11年)の市制20周年を機に「岡崎市ノ諸会合ニ於テ老幼男女喜ンデ唱謡シ市民ヲ鼓舞激励民心統一ニ資スル」ことを制定意義として2代目の市歌を制定することになった[2]。歌詞の懸賞募集は前年10月10日付の『岡崎市広報』第352号に要項を掲載して実施されたが、半年後に発表された入賞作品は千葉県からの応募作が一等入選とされたのを始め、全てが岡崎市はおろか愛知県外からの応募作であった[2]。市側はこの入選作について理由を明示しないまま「不採用」とすることを決め[注 1]、改めて旧制岡崎中学校岡崎師範学校の教諭らに作詞を依頼し甲・乙の2篇を候補として6月の定例市会へ提出する[3]。だが、この2篇に対しても市会からの同意が得られなかったため曲が付けられないまま未完成に終わっており、その理由について『新編岡崎市史』では「歌の出来の問題ではなく、中央の権威筋のものが望まれた結果と思われる」と推測している[4]

結果、前年に東京府の「八王子市歌」や福島県の「福島市歌」を手掛けており大正から昭和初期にかけて「黄金コンビ」と評されていた北原白秋と山田耕筰に市歌の作成が依頼された[4]。白秋の自筆原稿によれば歌詞を書き上げた日付は1937年(昭和12年)年4月25日、山田が曲を完成させたのは同年5月3日とされている[4]。こうして1年半に及ぶ難航の末に完成した2代目市歌は6月18日付で発表され、市制施行21年目に当たる7月1日に記念式典で地元の小学生たちが斉唱した[5]

市による制定告示は戦後の1962年(昭和37年)4月1日付条例第10号「岡崎市歌を定める条例」において行われ、その制定意義は「本市における市民意識の高揚を図るため」とされている[6]1970年代には、市と教育委員会が自主製作のソノシート規格品番:RFO-1022)を作成した。市では演奏の機会について「毎年七月一日の市制施行記念式と、毎年一月一日の新年交礼会において斉唱される」としている[7]

岡崎市は2006年(平成18年)に額田郡額田町を編入合併したが、合併協議会では「現在の岡崎市歌をそのまま市歌として存続する」申し合わせを受けて旧「額田町町歌」および町民音頭は廃止となり、合併後の市歌は岡崎市側のものに統一された[8]

歌詞(2代目)
一、
くもにかがやく  龍城 りゅうじょうの  青葉 あおば あらし  あお
くに きずきし  先傑 せんけつの  いさお たかし この ちから
ふるえよ 我等 われら  後永 のちながく  堅実 けんじつ 地歩 ちほ  がむ
岡崎 おかざきこれや  ひかり  岡崎 おかざきこれや  郷土 きょうど

二、

にしゆたけき  天恵 てんけいの  矢作 やはぎ ながれ まさに
つち えたり  西三河 にしみかわ  ながめ ひろし この 平野 へいや
ふるえよ 我等 われら  あきらけく  営々 えいえい わざ  かむ
岡崎 おかざきこれや  ひかり  岡崎 おかざきこれや  郷土 きょうど

三、

けぶりにぎはふ  新興 しんこうの  時代 じだい きおい ここに
おとにきこゆる  産業 さんぎょうの  ほまれ たかし この さかえ
ふるえよ 我等 われ  まゆわかく  躍進 やくしん 都市 とし いまどよむ
岡崎 おかざきこれや  ひかり  岡崎 おかざきこれや  郷土 きょうど

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 不採用となった千葉県・山本白夢の入選作は上園(1937), pp417-418に全文が掲載されている。

出典

  1. ^ a b c 新編岡崎市史4(1991), p719
  2. ^ a b c 新編岡崎市史4(1991), p1178
  3. ^ 新編岡崎市史4(1991), p1179
  4. ^ a b c 新編岡崎市史4(1991), p1180
  5. ^ 新編岡崎市史4(1991), pp1180-1181
  6. ^ ○岡崎市歌を定める条例”. 岡崎市例規集. 岡崎市役所 (1962年4月1日). 2023年5月2日閲覧。
  7. ^ 中山(2012), p255
  8. ^ 柴田紘一 (2004年5月20日). “岡崎市・額田町合併協議会の協定項目調整内容”. 岡崎市・額田町合併協議会. 2023年5月2日閲覧。

関連項目

外部リンク




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