山梨県釈迦堂遺跡出土品
主名称: | 山梨県釈迦堂遺跡出土品 |
指定番号: | 437 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1988.06.06(昭和63.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | |
員数: | 一括 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 釈迦堂遺跡は、甲府盆地を見おろす京戸川【きようずがわ】扇状地の中央に位置し、昭和五十五・五十六年、中央自動車道建設に先立つ発堀調査が行われ、縄文時代早期から中期の集落跡四か所が、各々に土器棄て場を伴って発見された。これらは塚越北A地区、塚越北B地区、三口神平【さんこうじんだいら】地区、野呂原【のろのはら】地区と呼称され、今これを総称して釈迦堂遺跡と呼んでいる。出土遺物は膨大な量にのぼり、復元可能な土器約一二〇〇箇をはじめ、石器、装身具等多岐にわたるが、本土偶の一括は、その質・量において他遺跡の追随を許さないまとまったものである。 一一一六箇体の土偶は、ほとんどが故意に毀損されており、全体がうかがえるものは少ない。しかし、右腕を欠くのみで完形の箇体や、塊状で胴部に貫通孔を持つ、いわゆる消化器形土偶と呼ばれる二箇など、全形を保つものもある。これらの所属時期は、その約九割が縄文時代中期中葉(新道【あらみち】~藤内【とうない】式期)、中期後葉(曽利【そり】式期)で占められ、これに一割弱、中期前葉(五領ケ台~狢沢【むじなざわ】式期)が加わる。他に、縄文時代前期前半(黒浜式併行期)の土偶七箇や、後期前半(堀之内式期)の土偶一箇もあり、特に前者は顔面表現を欠く板状の扁平土偶として注目される。 本土偶の一括は、各時期のものを含むが、その大部分が縄文時代中期の所産と目されることから、本遺跡は他の大規模な遺跡と比べても、一集落における土偶の保有数、出土遺物全体に占める土偶の割合など、全ての面で卓越した様相を示している。また、毀損した土偶同志の接合例などにも興味深い知見がある。 現在、わが国で出土・報告された土偶の総数が、約一万五千箇と推計される中で、本遺跡から出土した土偶の箇数は際立ったものである。一遺跡からの集中的な出土品で、しかもその全ての出土状態が明らかな点など、本遺品の一括が持つ意義は大きい。 |
考古資料: | 山城国花背別所経塚群出土品 山形県押出遺跡出土品 山梨県一の沢遺跡出土品 山梨県釈迦堂遺跡出土品 山梨県鋳物師屋遺跡出土品 岐阜県中野山越遺跡出土品 岐阜県老洞一号窯跡出土品 |
- 山梨県釈迦堂遺跡出土品のページへのリンク