展示までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:14 UTC 版)
「あいちトリエンナーレ」の記事における「展示までの経緯」の解説
2012年、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会が東京都美術館で開催した「第18回JAALA国際交流展」に『平和の少女像』のミニチュアが出展されたが、東京都美術館から「(政治的表現物であるため美術館の)運営要綱に抵触する」として撤去された。その経緯から「主催者の抗議にもかかわらずいつの間にか展示会場から消えた少女像は、日本の歴史認識と表現をめぐる『不自由な状況』を暴露するもの」(韓国美術研究家の古川美佳)として、2015年の「表現の不自由展」に『平和の少女像』の複製が展示物として採用された。 製作者のキム・ウンソンは「日本が本当に謝罪し反省しているのなら、むしろ東京庁舎前にも少女像を建てるべきだ。」と公言し、2016年から日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(旧・韓国挺身隊問題対策協議会)理事を務めているが、芸術監督の津田大介は「公的機関から独立したアーティストが、自分の作品に政治的な意図を込めるのは、断じて“プロパガンダ”などではなく、“オピニオン”です。」とし、慰安婦像は「日本政府の歴史認識を超えた歴史観を僕たちに押しつけるものではなく、そのような過去を反省し、未来に向けて立派に生きていくことを誓った僕たち日本人を貶めるものではないと考えます」として展示を決定した。解説を担当した岡本有佳は「(日本国内で朝鮮半島に対する)植民地支配に向き合おうとする人たちに希望をつないでほしい」と述べ、英語の解説は慰安婦問題日韓合意で使用が禁じられた「性奴隷(victims of the Japanese military sexual slavery)」という単語を用いられ、日本政府が決定した「慰安婦像」の呼称に対しても「本作の作品名は《平和の少女像》(正式名称「平和の碑」。「慰安婦像」ではない)。」と解説している。 「平和の少女像」は、例外的に「SNS推奨」のキャプションが7月31日に添付されたが、あいちトリエンナーレのあり方検証委員会が「個人の解釈によるSNS投稿は、さらに作品の意図とは無関係な、美術に関心のない人々を巻き込み、彼ら個人の思想・心情を訴えるために利用され、いわゆる「炎上」を招くことにつながった」と認めるように、製作者の思想・信条の拡散には失敗した。
※この「展示までの経緯」の解説は、「あいちトリエンナーレ」の解説の一部です。
「展示までの経緯」を含む「あいちトリエンナーレ」の記事については、「あいちトリエンナーレ」の概要を参照ください。
- 展示までの経緯のページへのリンク