少年期、青年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 08:02 UTC 版)
1976年3月、岡崎市内の公立の小学校を卒業。1976年4月、岡崎市立矢作中学校に進学。中学では水泳部に所属し、野口英世をめざして東大医学部から医者になる夢を描いていた。 その風貌から「空海」というあだ名をつけられ友人にも恵まれるが、その陰で、生まれつきあった口唇の傷(口唇口蓋裂)や小柄で痩せていたことから集中的ないじめに遭う。中学の卒業文集では「苦しかったことを耐えてこれた、今の僕には生きる自由がはっきり言ってない、あっても自信がない、生きる資格がない」「かろうじてがまんしてきましたが、いつ、怒りが爆発して何が起こるかわからない……そのままにしておいて、人殺しでも起こしてしまってからでは、とりかえしができません。……現状に対し、臆病になるな。逃避は敗北である」と書き綴っている。 1979年4月、愛知県立岡崎東高等学校に入学。高校受験時~高校生時代に地元の東岡崎駅で2度の飛び込み自殺を目撃し衝撃を受ける。以来、「人の生死や無常などについて」真剣に考えはじめ、精神世界や宗教に興味を持つようになる。麻原の言う「苦を感じなければ修行の道に入らない」との鉄則を高校時代から感じていた。 高校在学中から崇教真光や阿含宗に入信するが、求めるものが無く脱会。読書に打ち込んだり、仙道的なことや瞑想を行うが次第に宗教から遠ざかり、空手など肉体的鍛錬に興味が移り、極真空手に入門。また、高校時代よりオカルト雑誌『ムー』を創刊号から愛読していた(学研『高一コース』に掲載されていた広告がきっかけ)
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少年期・青年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 14:49 UTC 版)
中学校の帰り道、蓬莱橋近くの文化堂書店(廃業)にて、南洋一郎著・鈴木御水画の『片目の黄金獅子』の装飾的かつ美麗な装丁に目を奪われる。 「日の出湯」という銭湯に通ったが、浴場に描かれた富士山と帆掛け船の壁画と番台越しにちらっと見える女湯の友達の姿に胸を高鳴らす。 大学進学を決意した塾の帰り道、童子山付近の商工会議所の上空数10mの位置に洗面器大のオレンジ色の光体(UFO)を友人らと目撃。
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