少年期・学生時代・最初の成功
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「ルートヴィヒ・ティーク」の記事における「少年期・学生時代・最初の成功」の解説
ルートヴィヒ・ティークは1773年5月31日、ベルリンで綱作り職人の子として生まれた。1782年からフリードリヒ・ヴェルダー・ギムナジウムに通い、そこで終生の友ヴァッケンローダーと友誼を結んでいる。その後ハレ大学・ゲッティンゲン大学などで歴史や哲学、新旧の文学を学んでいる。1793年に在籍したエアランゲン大学ではヴァッケンローダーも共に学んだ。このころからティークはシェークスピアに研究に没頭して作家となるための修養を積み、在学中にヴァッケンローダーと共に各地を旅行してニュルンベルクや風光明媚なフレンキシェ・シュヴァイツ(フランケン・スイス)、バイエルン北東部のフィヒテンゲビルゲ、ポンマースフェルデンにあるバロック時代の古城ヴァイセンシュタイン城などを巡って見聞した。これはのちの作品に大きく影響し、これらの経験を記した旅行記もティークの名を高めている。ティークは既に大学進学よりも前からベルリンで最初の詩作を始めていたが、1794年彼は学業を放擲してベルリンに戻り『シュトラウスフェーダーン』誌に後期啓蒙主義的視点から娯楽小説や実験的文学作品を発表した。これら散文作品のうち一部は妹ゾフィーとの合作として製作されている。 1795年、ティークの最初の長編小説『ペーター・レープレヒト、冒険的なところのない物語』、『ウィリアム・ラヴェル』が、1796年には『アブダラ』がそれぞれ出版された。これらの作品においてティークはロマン主義への移行を完了し、民話や伝承に、ある時は劇的・風刺的である時は簡潔な脚色を施した。1797年には『ペーター・レープレヒトの民話』を発表し、芸術家小説『フランツ・シュテルンバルトの遍歴』を完成させてノヴァーリスやアイヒェンドルフに続くロマン主義小説の方向性を示すことになる。 1797年の終わり頃ティークはフリードリヒ・シュレーゲルと初めて会う。1798年ハンブルクで説教師アルベルトの娘と結婚し、1799年から1800年にかけてイェーナに滞在。そこでシュレーゲル兄弟やブレンターノ、フィヒテ、シェリングらと交友し、ゲーテとシラーの両名にも会っている。またアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの紹介でノヴァーリスと知遇を得ている。シュレーゲルはいわゆるイェーナ初期ロマン主義に属していたが、彼の展開したロマン主義の理論にティークの作品は実例を提供することになった。
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