小泉訪朝後の世論の大変化
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「北朝鮮による日本人拉致問題」の記事における「小泉訪朝後の世論の大変化」の解説
2002年(平成14年)9月17日の小泉純一郎と金正日による日朝首脳会談(第1回)で、金正日国防委員会委員長が、一連の拉致事案や工作船事案を認めて謝罪した事で、状況は一変する。マスメディアは連日、日本人拉致問題を報道して北朝鮮を激しく糾弾し、国民の多くは対北朝鮮制裁を強く訴えるようになった。大韓民国の東亜日報は、当時の日本国民の激怒ぶりを「憤怒」と報じた。 報道におけるタブーとして有名であった「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国…(以後、北朝鮮と呼称する)」という呼称方法が一斉にマスメディアから姿を消し、単純に「北朝鮮」と呼称する様になった。英語圏に於いては、拉致事案を Kidnap(誘拐)から Abduction(拉致)へと表現を強めた。 日本人拉致問題を「でっちあげ」と言い続けてきた在日本朝鮮人総聯合会は、本国に梯子を外された格好となり、急遽記者会見を開き火消しに奔走したが、時既に遅かった。同時に「拉致事件に怒りを覚えた一部の日本人によってチマチョゴリを着用した女子生徒への嫌がらせ事件(チマチョゴリ切り裂き事件)や朝鮮学校生徒への暴言・暴行がある」と、朝鮮総連は主張したが、日本の警察は、それらの事件について、政治的背景はないと判断した。 在日朝鮮人のショックは、相当な物であった。金時鐘は「植民地統治の強いられた被虐の正当性も、これで吹っ飛んだ気にすらなった」と嘆き、「拉致事件に対置して『過去の清算』を言い立てることがいかに、冒してはならない民族受難を穢すことであるかを、私達は心して知らねばならない」と述べた。 北朝鮮に対して、比較的友好的な立場を採っていた人々は、日本の世論の大転換を目の当たりにして、日本人拉致事件について言及せざるを得ない状況に追い込まれ、また日本人拉致事件を『捏造』『デッチ上げ』と主張していた人々は、事実認識の誤りを撤回して、謝罪を迫られる状況に追い込まれた。なお、アントニオ猪木のようにこの世論の大転換を疑問視する発言をしている者もいる。ただし猪木は後述のSAPIOでの発言にあるように拉致問題の解決自体に否定的なわけではない。 現在、東京都の都営地下鉄各駅では、北朝鮮による東京都での特定失踪者たちの顔写真を、駅構内にポスターとして貼り付け「東京へ返せ」と訴えている。
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