小暮卓史とは? わかりやすく解説

小暮卓史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/15 05:24 UTC 版)

小暮卓史
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1980-08-01) 1980年8月1日(45歳)
出身地 群馬県
SUPER GTでの経歴
デビュー 2005
所属 JLOC
車番 88
過去所属 Team Honda Racing
DOME RACING TEAM
TEAM KUNIMITSU
Drago Modulo Honda Racing
KEIHIN REAL RACING
出走回数 127
優勝回数 9(GT500),5(GT300)
ポールポジション 12(GT500)
過去参加シリーズ
2001 - 2002
2003 - 2012
2013 - 2017
2003
2005 - 2018
全日本F3選手権
フォーミュラ・ニッポン
スーパーフォーミュラ
全日本GT選手権
SUPER GT
選手権タイトル
2002
2010
2024
全日本F3選手権
SUPER GT (GT500)
SUPER GT (GT300)

小暮 卓史(こぐれ たかし、1980年8月1日 - )は、群馬県出身のレーシングドライバー[1]

プロフィール

経歴

幼少時よりポケバイやバギーやカートなどのモータースポーツに慣れ親しんできた小暮であるが、高校入学(1996年)と同時にカートレーシングを開始した。1997年と1998年には、早くも榛名でタイトルを奪取し才能の片鱗を見せ付けた。その後1999年にZAP SPEEDのオーデションに合格しFJ1600で4輪レースデビューを飾る。2000年には、ZAP SPEEDのフルサポート・ドライバーとしてフォーミュラ・トヨタに参戦。 2001年から全日本F3選手権にステップアップ、藤田直廣のナウ・モータースポーツから参戦した。2002年からは田中弘監督率いる名門チームの無限×童夢プロジェクトに移籍し、念願のシリーズチャンピオンに輝いた。また同年マカオF3に出走し3位表彰台を獲得する活躍を見せた。

フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラ

2003年より、中嶋企画から国内トップフォーミュラである全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに参戦を開始する。前年度チャンピオンのラルフ・ファーマンに替わってカーナンバー「1」を引き継いだことからも、期待の高さが覗われた。この年は、ルーキーイヤーながら最終戦で2位入賞を果たした。なお第3戦もてぎでは大クラッシュを起こし負傷している。

2004年は、開幕戦鈴鹿で初優勝を果たすもその後成績は伸び悩み、シリーズ7位に終わっている。

2005年は、シーズン中盤までチャンピオン争いを繰り広げる速さを見せ、シリーズ5位と健闘した。

2006年はARTAに移籍し、ポールポジションを最多の5回獲得するも自身のミスやトラブルなどで結果を残せず、シリーズ12位という結果に終わった。

2007年は再び中嶋企画に移籍し、第3戦もてぎラウンドでの3年ぶりの勝利を皮切りに第7戦菅生、第8戦富士で連勝を飾り、都合3勝しシリーズ2位で最終戦鈴鹿を迎えた。最終戦では、トップでチェッカーを受け、初の年間タイトルに輝いたと誰もが思っていたが、レース終了後の再車検でレギュレーション違反(スキッドブロック厚さ不足)が見つかって失格となり、シリーズチャンピオンを逸している[2]

2008年のオフシーズンには、前年の成績が評価され、念願であったF1のテストに参加するチャンスが与えられた。1月23日〜24日にバレンシアホンダ・RA107をドライブした。しかし不慣れな左足ブレーキでの走行という要素もあり、本人の意気込みとは裏腹に関係者の評価は芳しくなかった。

2008年は、シリーズチャンピオンの有力候補の一人と目されていたが、今ひとつ精彩を欠きポールポジションや優勝を一度も得ることが出来ず、結局シリーズ5位に終わった。

2009年は、車両及びエンジンがスウィフト・017.nと3.4L V8に一新され、他チームに先んじて性能を引き出すことが出来たため、3回のポールポジションと2回の優勝を飾ったが、同時にアクシデントやミスなどもあり、シリーズ4位に終わった。

2010年は、開幕戦でスタートで出遅れるもピット作戦で逆転勝利を挙げ、中盤はやや精細を欠くもチャンピオンの可能性を残したまま最終戦第2レースを迎える。ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラをオーバーテイクしてトップに上がるも、ピットストップでエンジンストールを起こしてしまい3位、最終的にシリーズ4位でシーズンを終えた。

2011年も開幕戦でピットインまでリードするがピットミスでアンドレ・ロッテラーに逆転を許して2位、このレース以降は翌シーズンいっぱいまで表彰台から遠ざかることになる。

2013年は、開幕戦で終始独走を見せるも、ファイナルラップでエンジントラブルに見舞われて3位、第6戦菅生でも序盤から独走し、ピットイン後の中盤もピットイン勢の最上位を快走するが、セーフティーカーが入った際にただ一人前方にいた未ピットインの伊沢拓也を周回遅れと勘違いして攻めあぐね、焦った結果無理に抜きに行って接触、10秒ピットインのペナルティを受けてまたしても勝利を取りこぼすこととなる。最終戦鈴鹿の第2レースでは2位表彰台。

2014年は、新たに導入されたホンダ・HR-414Eエンジンの性能不足やダラーラ・SF14にチームと自らが慣れなかったため、自身初のノーポイントに終わり、中嶋企画のシートをこのシーズン限りで失うこととなる。

2015年からは前年途中より参戦したDRAGO CORSEから参戦。この年も苦戦が続いたが、最終戦でチーム初ポイントを獲得する。

2016年は開幕戦で4位入賞を果たし、その後第6戦菅生と最終戦でもポイントを獲得したが、DRAGO CORSEがスーパーフォーミュラから撤退したため再びシートを失った。

2017年は新規参戦のB-MAX RACING TEAMから参戦したがノーポイントに終わる。

2018年はシートを失い、2003年以来の継続参戦が途切れた。

全日本GT選手権/SUPER GT

全日本GT選手権(現SUPER GT)には2003年から参戦を開始したが、フォーミュラーレースに専念するために、第4戦以降参戦を休止した。

2004年は離脱していたが、翌2005年に復帰。Team Honda RacingからTAKATA童夢NSX道上龍とのコンビを組み参戦する(シリーズ10位)。

2006年も前年と同一の体制で参戦した。Hondaのエース格であった松田次生日産へ移籍したこともあって、Honda陣営の中心ドライバーの一人として注目を集めた。この年は、第2戦岡山で念願のGT初優勝を飾る等、自己ベストとなるシリーズ3位を記録し健闘を見せた。

2007年も引き続きTAKATA童夢NSXをドライブしてシリーズ4位の成績を収めた。特に第6戦鈴鹿1000kmでは、雨の中で大クラッシュし救急車で病院に運ばれる事態を発生させたが、大事には至らず、次の第7戦もてぎで優勝するというミラクルを演じ、以降も無事に出場を続けた。

2008年は、ライバルの台頭がある中第3戦富士でポールポジションを獲得し気を吐いたが、シーズン序盤は波に乗れずにいた。その後、第5戦菅生でポールトゥーウィンしシリーズランキングトップに躍り出るも、その後ハンディウェイトに苦しみ、結局シリーズ6位に終わった。

2009年は、開幕戦岡山で2位を獲得するもその後波に乗れず、1勝もすること無くシリーズ6位に終わった。

2010年は、車両がHSV-010に、パートナーもロイック・デュバルに変わった。開幕戦鈴鹿ではポールポジションを獲得するも、ARTAと接触、同士討ちをし共にリタイアに終わった。車両の修復が危ぶまれた2週間後の第2戦岡山でもポールポジションを獲得し、決勝レースではパートナーの好走もあり、ポール・トゥ・ウィンでHSV-010の初優勝を飾った。その後も大崩れをすることなく着実にポイントを重ねる。特に有名となったのは第5戦SUGOで、最終ストレートでKEHIN REAL RACING塚越広大に交わされ、SUPER GT史上最も僅差と言われる差(0.025秒)で惜しくも2位となる。なお、2013年に奇しくも同様のレース展開になったものの見事に逃げ切り勝利を飾った後のインタビューで「この時の記憶がデジャ・ヴューで思い浮かび、また再現してしまうのかと思った」と語っている。その後は、2位のチームに10ポイントの差をつけて最終戦に挑む。最終戦のもてぎではポールポジションからスタートしたもののトムスのアンドレ・ロッテラーに交わされる。しかし、小暮は最後まで脇阪寿一と接戦を演じ、結果2位でチェッカーを受けHSV-010のデビュー年で自身初のチャンピオンを獲得した。

2011年は、前年と同じ体制で参戦。シーズンで2勝をするなど速さは見せるものの、同時にトラブルやリタイアも多く取りこぼしが目立ち、結局ドライバーズランキング3位でシーズンを終える。

2012年は、TOYOTAに移籍したロイック・デュバルに代わりカルロ・ヴァン・ダムとコンビを組む。第三戦のセパン・サーキットでは2年連続の勝利を飾るものの、シーズンでは6位という結果に終わる。

2013年は、山本尚貴と交代でTEAM KUNIMITSUに移籍し伊沢拓也とコンビを組む。第1選の岡山国際サーキットでTEAM KUNIMITSUとしては7年ぶりの勝利を飾るものの、特に後半になってからはポイントを獲得できずに、結局、シーズン10位に終わる。

2014年は、車両がドイツツーリングカー選手権(DTM)との車両統一規則によりHSV-010からNSX CONCEPT-GTに変更され、また、伊沢拓也がGP2に専念することから離脱し、GT300からGT500に復帰した武藤英紀とコンビを組む。この年は、ミッドシップレイアウトになったNSX CONCEPT-GTの空冷の問題や、ハイブリッド搭載による70kgのハンデ(第三戦以降は57kgに変更)により他メーカーに比べて明らかに戦力的に劣る車両で苦戦し、シーズンを通じて一度も表彰台に立つことも無かった。

2015年は、新規参戦となるDRAGO CORSEに所属。F1でテストドライバーを務めていたオリバー・ターベイがパートナーとなった。前年と同じくシーズンを通じて表彰台に登ったレースは無かったものの、雨が降る路面においては圧倒的な速さを見せつけ小暮劇場と呼ばれた。

2016年は、KEHIN REAL RACINGに移籍し塚越広大とコンビを組む。

2017年も前年と同様の体制で参戦をする。要所でのスピードを見せるものの、鈴鹿1000kmにおけるタイヤバースト等、不運も重なり勝利を飾ることは出来なかった。

2018年も前年と同じ体制で参戦をする。開幕戦の岡山国際サーキットでは、予選から好調でポールポジションからスタートし、2013年以来の勝利をポールトゥウィンで飾る。

2019年は、2003年の初参戦から14年間乗り続けたGT500から、GT300のJLOCへ移籍する。

2024年、JLOCで元嶋祐弥と共に14年ぶりのシリーズチャンピオン。これで両クラスでチャンピオンを獲ったのは3人目となる。

エピソード

無線

  • SUPER GTで長年コンビを組んだ道上龍は「小暮は慌てると早口になり、無線で何を言っているのか分からない」と語っており、いわゆる「無線芸人」としても知られる。
    • 2011年SUPER GT第5戦ではGT300の車両に接触されスピンをした際に無線で「後ろから正面衝突された!」と言った(本人によると、前を走っていた車がスピンをしてちょうど反対向になったところにぶつかったため「(前のスピンをした車に)後ろから(当たりそうだったけどちょうど反対を向いたので)正面衝突された」とのこと)。
    • 2014年SUPER GT菅生にて、他車のオイルがフロントガラスに付着して視界不良に陥った状態でパートナーの武藤英紀からステアリングを託された際、ワイパーを動かしたことでオイルが広がりさらに視界不良が悪化した。ピットは再度のピットインを指示するも、小暮は「走れっていうなら走れますよ!入っていいんだったら入るし!どっち?」と無線を入れ、走行を続けた。
    • 織戸学は2019年の鈴鹿10hドライバートークショーにおいて、小暮を「間違いなく宇宙と交信している」と評した。

自家用車

  • 愛車はトヨタ・AE86。2006年、自宅でAE86を整備していた際にジャッキが外れて頭部を挟まれ、病院で30針も縫う大けがを負ったことがある。偶然にも、犬の散歩をしていた近所の住民に血を流して倒れているのを発見され、一命を取り留めた。小暮はその後自力で車を運転して病院に向かったが、その時の記憶は喪失しているという。以降、自宅のガレージにリフトを導入したが、同時に地下ピットも掘ってしまったため逆に整備に不便な状態になっている[3]
  • スズキ・ジムニーも愛用しており、時たま地元の友達数人と北海道でツーリングを楽しんでいる[3]
  • 他にもT140型トヨタ・コロナホンダ・NSXスバル・R2スズキ・GSX-R1100なども保有しているが、いずれも一部のパーツが故障して走行できず、ほとんど放置状態にある[3]

レース

  • 2007年SUPER GT菅生や2009年SUPER GT岡山のように、大雨によるグリップ低下や視界不良の中でも必死に好タイムを記録するなど、ウェットコンディションに強い。
  • クラッシュが多い事でも知られており、フォーミュラ・トヨタ時代はTRDから毎月クラッシュの請求が来ていたとの事。そのせいか、シーズンオフのスカラシップ編入オーディションではTRDから「お前はお金(修理代)が掛かるから」と落選した。また、フォーミュラ・ニッポン一年目の時にも土屋武士を3回クラッシュに巻き込み、レース後説教された他、4つもモノコックを壊した。うち1回は、最終戦で監督の中嶋悟から「壊すつもりで行け」と激励を受け、そのままレースでクラッシュした。
  • 2002年に無限×童夢プロジェクトのホンダ系で活動するようになったが、それまでトヨタ系であるナウ・モータースポーツの藤田が仲介したのと、前年に無限×童夢プロジェクトでF3を戦っていたブノワ・トレルイエの推薦によるものだった。シーズンオフの無限×童夢のF3オーディションに柳田真孝長屋宏和と共に参加したが、それまでトヨタ系で活動していた事から「外様」として扱われ、白い目で見られていた。
  • 2003年にJGTCデビューするも第4戦以降アンドレ・ロッテラーにシートを譲る事となった。それは前年までF3で所属していた無限×童夢の田中から「F1を目指すのなら、ハコには乗るな」との意向もあり、途中で降板した[4]
  • リアルレーシングの金石勝智監督は小暮のシート確保の為に最後まで奔走し、体制決定後も小暮曰く「ヤバイくらい」心配してくれたという。
  • 86レースへの参戦中、テント村からサーキットに行こうとするも全く関係ないヤリスの列の最後尾に並び待ち続けた末に、予選途中から現れたとのこと。(VIDEO OPTIONの動画に出演した脇阪寿一による証言)
  • 86レースに参戦した際、岡山国際サーキットのバックストレート先のヘアピンにて、車半分程度のスペースに入りブレーキングで10台を抜いたものの、立ち上がりで12台に抜かされてしまった[5]
  • ドリフトにも造詣が深く、同じくレーシングドライバーの片岡龍也、松田次生、荒聖治等と共に「滑走麗心愚」を結成して、「いかす走り屋チーム天国」に出場した事もある。但し、当時はホンダの契約ドライバーだった事と、エントリー車種がトヨタ車(AE86セリカXX)だった事もあり、「ミスターK」と名乗り顔出しNGで出場した[3]。しかし、ナカジマレーシングのマネジャーに出場したことがバレて、そのまま連行されてしまったため後半の団体戦には出場しなかった。なお、マネジャーに連行されたことはイカ天内では言及されず、代わりにレポーターの坂東正敬から六本木に行くことのみ伝えられた(六本木に行くと伝えられたのは、ホンダの本社が港区に置いてあるからと考えられる)。

その他

  • 2008年に設立した自身のマネージメント会社の社名は「株式会社小暮」。
  • 趣味は温泉巡りだが、熱いお湯に入るのは苦手である。横溝直輝によれば、鈴鹿サーキットホテルの大浴場は熱すぎるために1分で出たという。
  • 焼肉屋で余ったにんにくを、1人でごまだれをつけながら焼いて焦がす実験を楽しんでいた。外は焦げても中は焦げてないのが面白いらしい。また、出されたカルビをうっかり生食してしまった。口に入れてすぐに違和感に気づき、「騙された」とつぶやきながら元の場所へ戻したという。(関口雄飛 2019年鈴鹿10hドライバートークショー)。
  • 2006年のSUPER GT第8戦において、中村卓哉監督が無線で「小暮、エンジンの調子が悪かったらペース落とせよ」とエンジン不調のためのペースダウンの指示をしている。その口調は明らかにホンダチーム同士での順位調整を匂わす内容であったが、小暮は「え?何か調子悪いんすか?全然問題ないですけど」と、チーム戦略を全く理解していない返答をした。
  • 2011年SUPER GT第4戦菅生ラウンドに向かう途中、本人が運転する自家用車がパンクしたことに気がつかずに走行していた(第一発見者は道上龍)。
  • 横溝直輝、中嶋一貴、山本左近らと飲みに行くことになった際、「恵比寿駅集合」を勘違いし、1人だけエビスサーキットに向かったという(脇阪寿一VIDEO OPTION内エピソード)。
  • テレビ東京番組『激走!GT』において、嵯峨百合子を乗せてシビックタイプRのインプレッションをしようとした際、自ら助手席に乗り込もうとした。さらに、インプレッションでは「シビックタイプRは軽量化のためフロントとかも樹脂なんですよ」と語り、フロントガラスを叩いていた(樹脂製なのはリアガラス)。
  • 86レースに参戦する際、ルートイン仙台に集合するはずが、勘違いでルートイン山形に行ってしまった。
  • 童夢所属時代、道上龍とペアを組んでいた当時は「情けない部分とかだらしない部分が道上さんにうつってしまった」ということで、道上が小暮のレーシングスーツを間違えて着てしまったことなどもあった。
  • 脇阪寿一のYouTubeチャンネルにて『グランツーリスモ6』を用いた企画が行われた際、鈴鹿サーキットの3周目のS字コーナーでスピンし、脇阪に「お前はミスタースピンだ!何人とたりとも俺の前は走らせねぇ!」といわれ、「ミスタースピン」というあだ名がつけられた。
  • 脇阪寿一のYouTubeチャンネルにおける企画で、小暮の運転するBRZに脇阪が同乗した際、緊張のあまりデグナーカーブを誤って6速に入れて通過するなどシフトミスを連発した[5][6]
  • タオルがないと精神的に不安定になると語っている。(【SUPER GT HEROES 2023】スペシャルインタビュー Vol.3 にて)

レース戦績

  • 1996年 - レーシングカートデビュー
  • 1997年 - GKT榛名モータースポーツ・SOPクラス(シリーズチャンピオン)
  • 1998年
    • GKT榛名モータースポーツ・FR2クラス(シリーズチャンピオン)
    • SL榛名モータースポーツ・FR2クラス(シリーズチャンピオン)
    • 関東西地区JAF地方選手権・FR2クラス
  • 1999年 - FJ1600筑波シリーズ・スポット参戦(ZAP SPEED #6 ZAP SPEED R&D FV95)
  • 2000年 - フォーミュラトヨタシリーズ(ZAP SPEED #14 ZAP SPEED FT20)
  • 2001年 - 全日本F3選手権(㈱ナウ・モータースポーツ #33 DeODEO DALLARA F300/ダラーラF300 3S-G)(シリーズ11位)
  • 2002年
    • 全日本F3選手権(無限×童夢プロジェクト #1 カストロール無限F302/ダラーラF302 MF204B)(シリーズチャンピオン・11勝)
    • F3マカオGP(決勝3位)
    • F3コリアSP(無限×童夢プロジェクト #15/ダラーラF302 MF204B)(決勝2位)
  • 2003年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #1/ローラB351 MF308)(シリーズ10位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1~3>(Mobil 1 NAKAJIMA RACING #64 Mobil1 NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ17位)
  • 2004年 - 全日本選手権フォーミュラニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #32/ローラB351 MF308)(シリーズ7位・1勝)
  • 2005年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #32/ローラB351 MF308)(シリーズ5位)
    • SUPER GT・GT500クラス(Team Honda Racing #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ10位)
  • 2006年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(AUTOBACAS RACING TEAM AGURI #56/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ12位)
    • SUPER GT・GT500クラス(Team Honda Racing #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ3位・1勝)
  • 2007年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #32/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ3位・3勝)
    • SUPER GT・GT500クラス(DOME RACING TEAM #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ4位・1勝)
  • 2008年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #32/ローラB06/51 HF386E)(シリーズ5位)
    • SUPER GT・GT500クラス(童夢レーシングチーム #18 TAKATA童夢NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ4位・1勝)
  • 2009年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(NAKAJIMA RACING #32/スウィフト017.n HR09E)(シリーズ4位・2勝)
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM YOSHIKI & 童夢 PROJECT #18 ROCK ST☆R 童夢 NSX/NSX NA2 C32B)(シリーズ6位)
  • 2010年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(NAKAJIMA RACING #32/スウィフト017.n HR10E)(シリーズ4位・1勝)
    • SUPER GT・GT500クラス(ウイダー ホンダ レーシング #18 ウイダー HSV-010/HSV-010 HR10EG)(シリーズチャンピオン・1勝)
  • 2011年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(NAKAJIMA RACING #32/スウィフト017.n HR10E)(シリーズ7位)
    • SUPER GT・GT500クラス(ウイダー ホンダ レーシング #1 ウイダー HSV-010 GT/HSV-010 HR10EG)(シリーズ3位・2勝)
  • 2012年
    • 全日本選手権フォーミュラニッポン(NAKAJIMA RACING #32/スウィフト017.n HR12E)(シリーズ10位)
    • SUPER GT・GT500クラス(ウイダー ホンダ レーシング #18 ウイダー HSV-010 GT/HSV-010 HR10EG)(シリーズ6位・1勝)
  • 2013年
    • 全日本選手権スーパーフォーミュラ(NAKAJIMA RACING #32/スウィフト017.n HR12E)(シリーズ7位)
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG HSV-010 GT/HSV-010 HR10EG)(シリーズ10位・1勝)
  • 2014年
    • 全日本選手権スーパーフォーミュラ(NAKAJIMA RACING #32/ダラーラ・SF14 HR-414E)
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM KUNIMITSU #100 RAYBRIG NSX CONCEPT-GT/NSX CONCEPT-GT HR-414E)(シリーズ14位)
2015年度参戦車両
  • 2015年
    • 全日本選手権スーパーフォーミュラ(DRAGO CORSE #34/ダラーラ・SF14 HR-414E)(シリーズ15位)
    • SUPER GT・GT500クラス(Drago Modulo Honda Racing #15 ドラゴ モデューロ NSX CONCEPT-GT/NSX CONCEPT-GT HR-414E)
  • 2016年
    • 全日本選手権スーパーフォーミュラ(DRAGO CORSE #34/ダラーラ・SF14 HR-414E)(シリーズ13位)
    • SUPER GT・GT500クラス(KEHIN REAL RACING #17 KEHIN NSX CONCEPT-GT/NSX CONCEPT-GT HR-414E)(シリーズ11位)
  • 2017年
    • 全日本選手権スーパーフォーミュラ(B-MAX Racing team #50/ダラーラ・SF14 HR-417E)
    • SUPER GT・GT500クラス(KEHIN REAL RACING #17 KEHIN NSX-GT/NSX-GT HR-417E)(シリーズ10位)
  • 2018年 - SUPER GT・GT500クラス(KEHIN REAL RACING #17 KEHIN NSX-GT/NSX-GT HR-417E)(シリーズ7位・1勝)
  • 2019年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC #88 マネパ ランボルギーニ GT3/HURACAN GT3 DFJ)(シリーズ7位)
    • アジアン・ル・マン・シリーズ GTクラス<Rd.3,4>(JLOC #88/HURACAN GT3 DFJ)(シリーズ10位・1勝)
  • 2020年 - SUPER GT・GT300クラス(JLOC #88 JLOC ランボルギーニ GT3/HURACAN GT3 DFJ)(シリーズ13位)
  • 2021年 - SUPER GT・GT300クラス(JLOC #88 JLOC ランボルギーニ GT3/HURACAN GT3 DFJ)(シリーズ8位)
  • 2022年 - SUPER GT・GT300クラス(JLOC #88 Weibo Primez ランボルギーニ GT3/HURACAN GT3 DFJ)(シリーズ13位)
  • 2023年 - SUPER GT・GT300クラス(JLOC #88 JLOC ランボルギーニ GT3/HURACAN GT3 DFJ)(シリーズ8位・1勝)
  • 2024年 - SUPER GT・GT300クラス(JLOC #88 VENTENY Lamborghini GT3/HURACAN GT3 DFJ)(シリーズチャンピオン・4勝)

主な記録

全日本F3選手権

  • 2002年度シリーズチャンピオン
  • 優勝11回

全日本選手権フォーミュラニッポン

  • 優勝 7回

全日本GT選手権・SUPER GT(GT500クラス)

  • 2010年度シリーズチャンピオン
  • 優勝 9回

フォーミュラ

全日本フォーミュラ3選手権

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2001年 NOW MOTOR SPORTS トヨタ SUZ1
6
SUZ2
Ret
TSU1
Ret
TSU2
Ret
FSW1
9
FSW2
Ret
MIN1
5
MIN1
5
TRM1
7
TRM2
Ret
SUZ
Ret
SUG1
6
SUG2
13
SEN1
9
SEN2
5
TAI1
15
TAI2
Ret
TRM1
12
TRM2
11
11位 44
2002年 無限×童夢プロジェクト 無限 A TSU1
4
TSU2
7
SUZ1
1
SUZ2
1
FSW1
Ret
FSW1
Ret
MIN1
2
MIN2
1
TRM1
1
TRM2
1
SUZ1
1
SUZ2
2
SUG1
1
SUG2
1
SEN1
1
SEN2
1
TAI1
Ret
TAI2
2
TRM1
1
TRM2
2
1位 294

フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2003年 PIAA NAKAJIMA RACING ローラ・B351 無限 SUZ
12
FSW
6
MIN
Ret
TRM
Ret
SUZ
6
SUG
Ret
FSW
Ret
MIN
14
TRM
4
SUZ
2
10位 11
2004年 SUZ
1
SUG
9
TRM
9
SUZ
7
SUG
2
MIN
Ret
SEP
6
TRM
9
SUZ
8
7位 17
2005年 TRM
Ret
SUZ
3
SUG
3
FSW
8
SUZ
2
MIN
Ret
FSW
11
TRM
9
SUG
6
5位 15
2006年 AUTOBACS RACING TEAM AGURI ローラ・B06/51 ホンダ FSW
19
SUZ
17
TRM
Ret
SUZ
9
AUT
19
FSW
Ret
SUG
Ret
TRM
Ret
SUZ
4
12位 3
2007年 PIAA NAKAJIMA RACING FSW
8
SUZ
3
TRM
1
OKA
5
SUZ
17
FSW
Ret
SUG
1
TRM
1
SUZ
DSQ
3位 41
2008年 FSW
6
SUZ
5
TRM
Ret
OKA
9
SUZ1
3
SUZ2
7
TRM1
5
TRM2
Ret
FSW1
3
FSW2
6
SUG
2
5位 41
2009年 NAKAJIMA RACING スウィフト・017.n ホンダ FSW
8
SUZ
12
TRM
1
FSW
7
SUZ
2
TRM
6
AUT
1
SUG
10
4位 37
2010年 SUZ
1
TRM
6
FSW
5
TRM
2
SUG
5
AUT
9
SUZ1
2
SUZ2
3
4位 38
2011年 SUZ
2
AUT
Ret
FSW
7
TRM
Ret
SUZ
C
SUG
7
TRM1
5
TRM2
4
7位 16.5
2012年 SUZ
15
TRM
Ret
AUT
10
FSW
10
TRM
13
SUG
Ret
SUZ1
6
SUZ2
4
10位 4
2013年 SUZ
3
AUT
Ret
FSW
14
TRM
5
INJ
C
SUG
8
SUZ1
NC
SUZ2
2
7位 15
2014年 ダラーラ・SF14 ホンダ SUZ
Ret
FSW1
Ret
FSW2
DNS
FSW
Ret
TRM
11
AUT
Ret
SUG
10
SUZ1
Ret
SUZ2
16
NC 0
2015年 DRAGO CORSE SUZ
Ret
OKA
Ret
FSW
16
TRM
14
AUT
13
SUG
11
SUZ1
6
SUZ2
7
15位 2.5
2016年 SUZ
4
OKA
15
FSW
12
TRM
11
OKA1
11
OKA2
14
SUG
7
SUZ1
7
SUZ2
9
13位 8
2017年 B-MAX Racing team SUZ
15
OKA1
18
OKA2
15
FSW
13
TRM
17
AUT
12
SUG
14
SUZ2
DNQ
SUZ2
DNQ
NC 0

グランドツーリングカー

全日本GT選手権/SUPER GT

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2003年 Mobil 1 NAKAJIMA RACING ホンダ・NSX GT500 TAI
5
FSW
6
SUG
8
FSW FSW TRM AUT SUZ 17位 17
2005年 Team Honda Racing GT500 OKA
7
FSW
13
SEP
7
SUG
Ret
TRM
2
FSW
11
AUT
5
SUZ
6
10位 37
2006年 GT500 SUZ
4
OKA
1
FSW
Ret
SEP
6
SUG
Ret
SUZ
Ret
TRM
5
AUT
2
FSW
7
3位 76
2007年 DOME RACING TEAM GT500 SUZ
13
OKA
7
FSW
11
SEP
Ret
SUG
2
SUZ
12
TRM
1
AUT
5
FSW
10
4位 63
2008年 GT500 SUZ
7
OKA
12
FSW
3
SEP
3
SUG
1
SUZ
12
TRM
8
AUT
7
FSW
14
6位 60
2009年 TEAM YOSHIKI & 童夢 PROJECT GT500 OKA
2
SUZ
5
FSW
13
SEP
12
SUG
3
SUZ
4
FSW
8
AUT
5
TRM
10
6位 50
2010年 ウイダー ホンダ レーシング ホンダ・HSV-010 GT GT500 SUZ
Ret
OKA
1
FSW
7
SEP
3
SUG
2
SUZ
9
FSW
C
TRM
2
1位 67
2011年 GT500 OKA
7
FSW
13
SEP
1
SUG
Ret
SUZ
1
FSW
4
AUT
11
TRM
6
3位 57
2012年 GT500 OKA
7
FSW
9
SEP
1
SUG
7
SUZ
7
FSW
Ret
AUT
9
TRM
7
6位 40
2013年 TEAM KUNIMITSU GT500 OKA
1
FSW
7
SEP
3
SUG
12
SUZ
10
FSW
Ret
AUT
12
MOT
12
10位 37
2014年 ホンダ・NSX CONCEPT-GT GT500 OKA
9
FSW
Ret
AUT
6
SUG
11
FSW
7
SUZ
6
CHA
8
TRM
8
14位 23
2015年 Drago Modulo Honda Racing GT500 OKA
6
FSW
8
CHA
10
FSW
6
SUZ
12
SUG
7
AUT
7
TRM
7
12位 26
2016年 KEIHIN REAL RACING GT500 OKA
11
FSW
12
SUG
6
FSW
2
SUZ
10
CHA
6
TRM
Ret
TRM
11
11位 27
2017年 ホンダ・NSX-GT GT500 OKA
11
FSW
8
AUT
2
SUG
Ret
FSW
Ret
SUZ
15
CHA
3
TRM
4
10位 37
2018年 GT500 OKA
1
FSW
11
SUZ
11
CHA
7
FSW
3
SUG
9
AUT
6
TRM
15
7位 45
2019年 JLOC ランボルギーニ・ウラカンGT3 GT300 OKA
10
FSW
3
SUZ
19
CHA
5
FSW
5
7位 36.5
ランボルギーニ・ウラカンGT3 Evo AUT
3
SUG
20
TRM
11
2020年 GT300 FSW
25
FSW
15
SUZ
27
TRM
2
FSW
6
SUZ
13
TRM
Ret
FSW
Ret
13位 20
2021年 GT300 OKA
9
FSW
6
SUZ
2
TRM
24
SUG
7
AUT
12
TRM
4
FSW
23
8位 34
2022年 GT300 OKA
17
FSW
5
SUZ
5
FSW
9
SUZ
17
SUG
13
AUT
4
MOT
5
13位 25
2023年 GT300 OKA
24
FSW
6
SUZ
21
7位 40
ランボルギーニ・ウラカン GT3 Evo2 FSW
8
SUZ
4
SUG
14
AUT
7
MOT
1
2024年 GT300 OKA
8
FSW
1
SUZ
20
FSW
5
SUZ
1
SUG
10
AUT
1
MOT
1
1位 96
2025年 GT300 OKA
9
FSW
Ret
SEP
4
FSW
SPR1

Ret
FSW
SPR2

(11)
SUZ
7
SUG
15
AUT
MOT
15位* 32.5*
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  • SPRはスプリントレース、()内順位は出走していないがポイントは獲得した。
  •  : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で終了したため、得点が半分となる。

スポーツカー

アジアン・ル・マン・シリーズ

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 順位 ポイント
2019-20年 JLOC ランボルギーニ・ウラカン GT3 GT SHA BEN SEP
1
CHA
4
10位 37

ラジオ

  • 小暮卓史のおしゃべりサーキット(FM TARO) - 第1・3金曜日(18:45 - 18:55)放送

脚注

  1. ^ a b c d SUPER GT(GT500) - 小暮卓史|Honda”. Honda公式ホームページ. 2024年10月13日閲覧。
  2. ^ シリーズチャンピオンは松田次生に輝いた。小暮は最終的にシリーズ3位となった。
  3. ^ a b c d レーサー 小暮卓史 の プライベートガレージ 訪問 / Racer Takashi Kogure's Private Garage Visit 【ENG Sub】 - YouTube
  4. ^ そもそも田中自身がハコのレースを嫌っていた事もある。
  5. ^ a b 鈴鹿サーキットで脇坂寿一が小暮選手の走りを助手席で体験してみた結果… - YouTube
  6. ^ (日本語) 鈴鹿サーキットで脇阪寿一が小暮選手の走りを助手席で体験してみた結果…, https://www.youtube.com/watch?v=ThNnqcnMOF0 2023年4月6日閲覧。 

参考文献

関連項目

外部リンク

タイトル
先代
ブノワ・トレルイエ
全日本F3選手権
2002年
次代
ジェームス・コートニー




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