無限×童夢プロジェクトとは? わかりやすく解説

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無限×童夢 プロジェクト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/17 03:10 UTC 版)

無限×童夢 プロジェクトは、かつて全日本GT選手権(現:SUPER GT)に参戦していたホンダワークスチームである。

概要

1996年からチーム国光はそれまで使用していたポルシェ・911から、前年までル・マン24時間レースで使用していたホンダ・NSXをGT500クラスに投入してJGTCに参戦していた。しかし、ル・マンのLM-GT2クラス規程に沿って作られたNSXでは同じくGT500クラスで争う日産・スカイラインGT-Rトヨタ・スープラ、この年「黒船」と称されJGTCを席巻していたマクラーレン・F1 GTRを相手には勝負にならず、周囲から「GT400」と揶揄されていた[1][2]

同年のシリーズでホンダの上層部がJGTCを視察した際、NSXの惨状に危惧、1997年に向けて、エンジン関係は長年ホンダのモータースポーツ活動を支えてきた無限(現:M-TEC)に、空力シャシ関係を童夢にそれぞれ託し、本田技術研究所がサポートする体制としてジョイントチーム「無限×童夢プロジェクト」を発足し、JGTC専用NSXを開発、JGTCに参戦した[3]

参戦初年度は1カー体制で参戦。2年目となる1998年から体制強化を図り、「無限」名義と「童夢」名義でそれぞれ2カー体制で参戦を開始した。

2000年にチーム・タイトルと道上龍がドライバーズ・タイトルの2冠を獲得、2002年はチーム・タイトルを獲得した。

また、2000年からホンダの若手ドライバー育成を担う形で、全日本F3選手権にも参戦。セバスチャン・フィリップブノワ・トレルイエ小暮卓史を擁し、3年連続でドライバーズ・タイトルを獲得した。

2003年の途中に無限が活動休止、「無限」名義の参戦体制を童夢側が引継ぎ最終戦まで参戦を継続したが、同年限りでチームは解散した。

2004年は童夢の単独チームとして1カー体制で参戦したが、翌年からARTAを運営するスーパーアグリカンパニーとジョイントチーム「Team Honda Racing」を発足し、参戦した。

全日本GT選手権での戦歴

1997年

1997年GT500参戦車両

1カー体制でエントリー。ドライバーには黒澤琢弥と前年フォーミュラ・ニッポンで同チームよりエントリーした若手の山本勝巳を起用。avexをスポンサーに据えた体制で挑んだ。第5戦美祢ではポールポジションを奪うも、最高位は最終戦菅生での5位に留まり、デビューとなる第2戦富士から3戦連続リタイヤを喫し、ドライバーズランキングは16位、チームランキングは10位となった。

当時のツーリングカーレースでは接触が当たり前とされており、レーシングカー思想で設計されたNSXは信頼性や耐久性がネックとなり、尚且つミッドシップ車両の性能調整も課せられた事で本来の性能活かしきれず、下位に沈んでしまった。

1998年

この年から体制強化を図り、2カー体制で挑む。童夢側はNISMO陣営に移籍した黒澤に代わり、前年トヨタ陣営でGT500を戦った金石勝智が山本のパートナーとして加入、スポンサーにはタカタ大王製紙が就く。無限側は前年ホンダ・アコード全日本ツーリングカー選手権を戦いシリーズチャンピオンを獲得した中子修に若手の道上龍を起用、タイトルスポンサーにカストロールが就いた。

前半戦こそ両者ともにリタイヤで終わるが、無限側は第5戦茂木では中子/道上組が初優勝を果たし、最終戦菅生で2勝目を挙げ、ドライバーズランキング4位、チームランキングは5位に入った。

一方童夢側は、第4戦富士での4位が最高位となり、第6戦美祢から山本に代わり、ジョーダンF1でテストドライバーを務めていた脇阪寿一を起用。最終戦菅生でトップチェッカーを受け、1-2フィニッシュを飾るも、レース後の車検でエアリストリクターの規定違反が見つかり不合格、失格となってしまい、2位チェッカーの無限が繰り上げで優勝する事となった。ドライバーズランキングは金石が15位、山本が16位、チームランキングは12位となった。

この年は全戦でNSXがポールポジションを獲得、内3戦で無限が獲得する等圧倒的な速さを見せたが、第6戦美祢ではマシンが炎上するトラブルが発生する等依然として信頼性と耐久性に課題を残した[4][5]

1999年

童夢側は前年最終戦菅生での活躍が林みのるから評価された脇阪を引き続き起用[6]、金石と組む。無限側も前年2勝を挙げた中子と道上が継続。

前年のNSX勢の台頭から性能調整を課せられてしまい、全体的に苦戦を強いられるシーズンとなった。童夢側は開幕戦鈴鹿で1勝を挙げるが、それ以外では第5戦富士で2位、第6戦TIで3位に入るに留まり、ドライバーズランキング4位で終えた。無限側は第3戦菅生と第4戦美祢での3位2回が最高位となり、ドライバーズランキング10位。チームランキングは3位で終える事となった。

また、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)が前年限りで終了に伴い、他メーカーがJGTCの車両開発に集中し始めたのも一因にあった。

2000年

2000年GT500参戦車両

この年からリヤ周りの空力に規制が入った為、風流舎で6000時間に及ぶ風洞実験を重ねて開発した[3]。また、パワートレインのレイアウトも変更した。その新開発した車両を童夢、無限2台が開幕戦茂木から投入。チーム体制は前年同様、童夢側は脇阪と金石、無限側は中子と道上のコンビをそれぞれ継続して参戦。また、童夢側のスポンサーにはリゲインが就く事になり、マシンカラーが前年までのホワイトから一転し、イエロー基調となった。

童夢側は開幕3戦と第6戦美祢、特別戦のセパンでポールポジションを獲得する等速さを見せたが、優勝は第2戦富士での1回に留まり、ドライバーズランキング6位で終える。

一方の無限側は開幕戦茂木、第3戦菅生、第5戦TI、最終戦鈴鹿での2位に4回に入ったのが最高位だったが、それ以外のラウンド全てで入賞を果たす等ウエイトハンデを考慮したレース運びが奏功し、未勝利ながらも道上がドライバーズ・タイトルを獲得、またチーム・タイトルも獲得した。また、第5戦TIからパートナーは中子に代わり、この年ベネトンF1のテストドライバーに就いていた光貞秀俊に交替。道上のドライバーズ・タイトルとチーム・タイトル獲得に貢献した。

2001年

この年はトヨタ、日産が新型シャシーを投入する中、旧型を継続。しかし、前年使用していたエアインテークにクレームがついてしまい、形状変更を強いられる。これにより、大幅なパワーダウンを余儀なくされてしまった[3]。チーム体制も大幅に変更となり、ディフェンディングチャンピオンとなった無限側は道上のパートナーで前年2冠獲得に貢献した光貞を引き続き起用、メインスポンサーにはロックタイトが就く。童夢側は金石がARTA、脇阪がトヨタ陣営にそれぞれ移籍し、ル・マン等スポーツカー耐久で活躍する加藤寛規と前年同チームで全日本F3選手権でシリーズチャンピオンを獲得したセバスチャン・フィリップのルーキーを起用した。

開幕戦TIでは道上/光貞組が前年王者の意地を見せ、開幕戦優勝を飾り、第6戦鈴鹿で2位に入る等、コンスタントに入賞を重ね、チャンピオン争いを繰り広げるも、最終戦は12位となり、ドライバーズランキング3位でシーズンを終えた。

童夢側は第5戦茂木以降、フィリップのパートナーを加藤から同チームで全日本F3選手権を戦うブノワ・トレルイエに交替し、最終戦美祢で3位に入るも、それ以外では第3戦菅生で6位入賞するに留まり、ドライバーズランキングはフィリップが16位、加藤が22位、トレルイエが18位となった。またチームランキングは2位となった。

2002年

前年に市販車のNSXがマイナーモデルチェンジに伴い、それに合わせたNSXを投入。体制は無限側は前年チーム国光で戦った伊藤大輔が光貞とトレードする形で加入し道上と組む。童夢側はフィリップのパートナーにリチャード・ライアンが加入した。

無限側は道上がフォーミュラ・ニッポン第2戦のクラッシュで重症を負い、前半戦の欠場を余儀なくされてしまう[7]。その代役として前年中嶋企画でJGTCを戦ったドミニク・シュワガーを起用し、参戦。第2戦富士と第3戦菅生で連続3位表彰台を獲得。第5戦富士から療養を終えた道上が復帰。第7戦美祢で今季初優勝を挙げた。最終的にドライバーズランキングは伊藤が5位、道上が18位、シュワガーが13位となった。

童夢側は開幕戦TIで2位表彰台を獲得し、その後第6戦茂木で優勝するも、それ以外は第5戦富士で6位入賞するにとどまり、ドライバーズランキングは9位で終えたが、チームタイトルを獲得した。

2003年

この年からパイプフレームが許可される等大幅に車両規程が変更したが、フロアのフラットボトム化や全面投影面積によるウエイトハンデにより更にNSXにとって不利な規程となってしまった。その為、エンジン搭載を縦置きに変更したり、ギヤボックスをエンジン前方に配置する等大幅に改良を加えた[3]

チーム体制は童夢側はフィリップのパートナーに前年まで無限側で参戦を続けてきた道上が加入。無限側は伊藤のパートナーにトム・コロネル1999年以来のJGTCに復帰した。また、無限側のスポンサーに新たにG'ZOXが就いた。

この年、新規程に沿って投入されたトヨタ・スープラ日産・スカイラインGT-Rを相手に苦戦を強いられてしまい、道上/フィリップ組が第5戦富士で、伊藤/コロネル組が第6戦茂木でそれぞれ1勝ずつ挙げるに留まった。ドライバーズランキングは道上が7位、フィリップが8位、伊藤/コロネル組は10位となった。またチームランキングは無限側は12位、童夢側は3位となった。

主な参戦カテゴリー

参戦歴

全日本GT選手権

エントラント名 クラス No. マシン タイヤ ドライバー 出走 ランキング
ドライバー チーム
1997年 無限×童夢プロジェクト GT500 18 avex 童夢 無限 NSX B 黒澤琢弥 All 16位 10位
山本勝巳 All
1998年 Castrol 無限 GT500 16 Castrol 無限 NSX B 中子修 All 4位 5位
道上龍 All
童夢レーシングチーム GT500 18 TAKATA 童夢 NSX B 金石勝智 All 15位 12位
山本勝巳 Rd.1-5 16位
脇阪寿一 Rd.6,7 NC
1999年 無限×童夢プロジェクト GT500 16 Castrol 無限 NSX B 中子修 All 10位 3位
道上龍 All
GT500 18 TAKATA 童夢 NSX B 脇阪寿一 All 4位
金石勝智 All
2000年 無限×童夢プロジェクト GT500 16 Castrol 無限 NSX B 中子修 Rd.1-4 10位 1位
光貞秀俊 Rd.5-7 7位
道上龍 All 1位
GT500 18 TAKATA 童夢 NSX B 脇阪寿一 All 6位
金石勝智 All
2001年 無限×童夢プロジェクト GT500 1 ロックタイト 無限 NSX B 道上龍 All 3位 2位
光貞秀俊 All
GT500 18 TAKATA 童夢 NSX B 加藤寛規 Rd.1-4 22位
ブノワ・トレルイエ Rd.5-7 18位
セバスチャン・フィリップ All 16位
2002年 無限×童夢プロジェクト GT500 16 無限 NSX B 伊藤大輔 All 5位 1位
ドミニク・シュワガー Rd.1-4 13位
道上龍 Rd.5-8 18位
GT500 18 TAKATA 童夢 NSX B セバスチャン・フィリップ All 9位
リチャード・ライアン All
2003年 無限(Rd.1-5) GT500 16 G'ZOX 無限 NSX B 伊藤大輔 Rd.1-4 10位 12位
トム・コロネル Rd.1-4
童夢レーシングチーム GT500 G'ZOX NSX B 伊藤大輔 Rd.5-8 3位
トム・コロネル Rd.5-8
GT500 18 TAKATA 童夢 NSX B 道上龍 All 7位
セバスチャン・フィリップ Rd.1-6,8 8位
パオロ・モンティン Rd.7 NC

全日本フォーミュラ3選手権

エントラント名 No. ドライバー マシン シャシ エンジン チューナー タイヤ ランキング
ドライバー チーム
2000年 無限×童夢プロジェクト 10 セバスチャン・フィリップ カストロール無限F300 ダラーラ・F300 無限・MF204 ㈱無限 B 1位 1位
11 井出有治 FドリームARTA無限 B 2位
2001年 無限×童夢プロジェクト 1 ブノワ・トレルイエ ロックタイト無限F300→F301 ダラーラ・F300→F301 無限・MF204 ㈱無限 B 1位 1位
11 細川慎弥 APPRESSO無限F300 ダラーラ・F300 B 20位
2002年 無限×童夢プロジェクト 1 小暮卓史 カストロール無限F302 ダラーラ・F302 無限・MF204B ㈱無限 B 1位 1位
株式会社 童夢 11 星野一樹 ティグレ無限F302 B 11位 8位

鈴鹿1000km

エントラント名 No. マシン タイヤ クラス ドライバー
1999年 無限×童夢プロジェクト 16 無限×童夢 NSX B GT500 中子修
道上龍
金石勝智
2000年 無限×童夢プロジェクト 16 Castrol 無限×童夢 NSX B GT500 道上龍
光貞秀俊
井出有治
18 TAKATA 無限×童夢 NSX B GT500 脇阪寿一
金石勝智
伊藤大輔
2001年 無限×童夢プロジェクト 1 ロックタイト 無限×童夢 NSX B GT500 道上龍
光貞秀俊
伊藤大輔
18 TAKATA 無限×童夢 NSX B GT500 セバスチャン・フィリップ
金石勝智
細川慎弥
2002年 無限×童夢プロジェクト 16 無限 NSX B GT500 道上龍
光貞秀俊
伊藤大輔
18 Regain 童夢 NSX B GT500 セバスチャン・フィリップ
金石勝智
リチャード・ライアン

戦績

全日本GT選手権

No. ドライバー 使用車両 タイヤ クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1997年 18 黒澤琢弥
山本勝巳
ホンダ・NSX B GT500 SUZ FSW
Ret
SEN
Ret
FSW
Ret
MIN
8
SUG
5
10位 11
1998年 16 中子修
道上龍
B GT500 SUZ
Ret
FSW
C
SEN
Ret
FSW
5
TRM
1st
MIN
Ret
SUG
1
5位 48
18 金石勝智
山本勝巳(Rd.1-5)
脇阪寿一(Rd.6,7)
B GT500 SUZ
Ret
FSW
C
SEN
Ret
FSW
4
TRM
Ret
MIN
15
SUG
DSQ
12位 10
1999年 16 中子修
道上龍
B GT500 SUZ
14
FSW
12
SUG
3
MIN
3
FSW
9
TAI
16
TRM
4
3位 81
18 脇阪寿一
金石勝智
B GT500 SUZ
1
FSW
Ret
SUG
Ret
MIN
11
FSW
2
TAI
3
TRM
Ret
2000年 16 中子修(Rd.1-4)
光貞秀俊(Rd.5-7)
道上龍
B GT500 TRM
2
FSW
8
SUG
2
FSW
10
TAI
2
MIN
4
SUZ
2
1位 96
18 脇阪寿一
金石勝智
B GT500 TRM
Ret
FSW
1
SUG
4
FSW
17
TAI
10
MIN
2
SUZ
15
2001年 1 道上龍
光貞秀俊
B GT500 TAI
1
FSW
8
SUG
4
FSW
5
TRM
12
SUZ
2
MIN
12
2位 68
18 加藤寛規(Rd.1-4)
ブノワ・トレルイエ
セバスチャン・フィリップ
B GT500 TAI
14
FSW
15
SUG
6
FSW
14
TRM
15
SUZ
12
MIN
3
2002年 16 伊藤大輔
ドミニク・シュワガー(Rd.1-4)
道上龍(Rd.5-8)
B GT500 TAI
5
FSW
3
SUG
3
SEP
10
FSW
11
TRM
16
MIN
1
SUZ
10
1位 96
18 セバスチャン・フィリップ
リチャード・ライアン
B GT500 TAI
2
FSW
15
SUG
16
SEP
13
FSW
6
TRM
1
MIN
12
SUZ
14
2003年 16 伊藤大輔
トム・コロネル
B GT500 TAI
4
FSW
Ret
SUG
9
FSW
12
12位 13
FSW
8
TRM
1
AUT
10
SUZ
11
3位 77
18 道上龍
セバスチャン・フィリップ(Rd.1-6,8)
パオロ・モンティン(Rd.7)
B GT500 TAI
3
FSW
Ret
SUG
7
FSW
8
FSW
1
TRM
14
AUT
Ret
SUZ
2

全日本フォーミュラ3選手権

No. ドライバー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2000年 10 セバスチャン・フィリップ 無限 B SUZ
1
TSU
3
FSW
1
MIN
2
TAI
3
SUZ
3
SUG
4
TRM
2
SEN
1
SUZ
2
1位 70(57)
11 井出有治 B SUZ
Ret
TSU
1
FSW
6
MIN
3
TAI
6
SUZ
2
SUG
5
TRM
3
SEN
6
SUZ
1
2001年 1 ブノワ・トレルイエ B SUZ1
1
SUZ2
2
TSU1
1
TSU2
1
FSW1
2
FSW2
Ret
MIN1
1
MIN2
1
TRM1
1
TRM2
1
SUZ
2
SUG1
1
SUG2
1
SEN1
1
SEN2
1
TAI1
1
TAI2
1
TRM1
1
TRM2
1
1位 345(260)
11 細川慎弥 B SUZ1 SUZ2 TSU1 TSU2 FSW1 FSW2 MIN1 MIN2 TRM1 TRM2 SUZ SUG1 SUG2 SEN1 SEN2 TAI1 TAI2 TRM1
11
TRM2
9
2002年 1 小暮卓史 B TSU1
4
TSU2
7
SUZ1
1
SUZ2
1
FSW1
Ret
FSW2
Ret
MIN1
2
MIN2
1
TRM1
1
TRM2
1
SUZ1
1
SUZ2
2
SUG1
1
SUG2
1
SEN1
1
SEN2
1
TAI1
Ret
TAI2
2
TRM1
1
TRM2
2
1位 294(290)
11 星野一樹 B TSU1
Ret
TSU2
8
SUZ1
Ret
SUZ2
Ret
FSW1
Ret
FSW2
7
MIN1
9
MIN2
Ret
TRM1
Ret
TRM2
2
SUZ1
6
SUZ2
5
SUG1
12
SUG2
8
SEN1
11
SEN2
7
TAI1
3
TAI2
8
TRM1
7
TRM2
Ret
8位 64

鈴鹿1000km

No. マシン ドライバー クラス 周回 総合順位 クラス順位
1999年 16 無限×童夢 NSX 中子修
道上龍
金石勝智
GT500 171 1位 1位
2000年 16 カストロール 無限×童夢 NSX 道上龍
光貞秀俊
井出有治
GT500 146 DNF DNF
18 TAKATA 無限×童夢 NSX 脇阪寿一
金石勝智
伊藤大輔
GT500 171 1位 1位
2001年 1 ロックタイト 無限×童夢 NSX 道上龍
光貞秀俊
伊藤大輔
GT500 171 2位 2位
18 TAKATA 無限×童夢 NSX セバスチャン・フィリップ
金石勝智
細川慎弥
GT500 170 4位 4位
2002年 16 無限 NSX 道上龍
光貞秀俊
伊藤大輔
GT500 171 2位 2位
18 Regain 童夢 NSX セバスチャン・フィリップ
金石勝智
リチャード・ライアン
GT500 128 DNF DNF


関連項目

脚注

  1. ^ 『Racing On Vol.476 「JGTC [1994-1999]」 かつてない“劇場型レース”が始まった』株式会社三栄、2015年4月1日。 
  2. ^ テリー土屋のくるまの話【公式】 (2024-11-01), 鈴木亜久里さん登場!土屋圭市と今だから話せるレース業界ぶっちゃけ話!【土屋圭市のくるまの話】, https://www.youtube.com/watch?v=RTP8nMy6_74 2025年9月14日閲覧。 
  3. ^ a b c d 性能調整との闘い!ホンダ初代NSXのスーパーGT/JGTCでの活躍の歴史を解説|モーター天国”. モーター天国 (2022年6月28日). 2025年9月14日閲覧。
  4. ^ Tidus FF10 (2020-01-10), 1998年JGTCにおけるNSXの炎上, https://www.youtube.com/watch?v=Ye2rPsYoeUA 2025年9月14日閲覧。 
  5. ^ 同年の最終戦菅生でも同じNSXを駆るチーム国光も炎上した。
  6. ^ 脇阪寿一『僕のGT初優勝』”. 脇阪寿一オフィシャルブログ「脇阪寿一の走らなあかん!」Powered by Ameba. 2025年9月14日閲覧。
  7. ^ Nukokatze (2007-02-19), 2002 FN Fuji Michigami crash, https://www.youtube.com/watch?v=ahK9sl8nsTk 2025年9月14日閲覧。 

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