小川プロに対する評価・批判等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 03:01 UTC 版)
「小川紳介」の記事における「小川プロに対する評価・批判等」の解説
旧熱田派の元反対同盟員は、三里塚闘争が全国区となって大きな支援を得られたのは、小川プロ作品自主上映の会のメンバーが、各地で披露上映したことによるところが大きいと評価している。一方で、既に新東京国際空港公団(空港公団)に土地を売却した人物をあたかも現在も闘争を続けているように描く等、編集による印象操作が行われており、ドキュメンタリーと言いながらフィクションではないかと思ったと証言している。 1968年7月11日に、岩山部落への立ち入り調査を行っていた空港公団職員への投石等暴行の現行犯で、小川プロのカメラマンが逮捕されている。成田警察署長であった飯高春吉は、カメラマンが空港公団の立ち入り調査の状況(特に警察機動隊と農民学生との衝突の場面)を撮影し、機動隊の行き過ぎ行為については過大に宣伝し、カメラマン自らもその場で警察部隊に抗議するということが時々あったとしている。なお、飯高は機動隊員がカメラの前に大盾を出して取材妨害をしたとして、小川プロから直談判を受けている。 小川プロは条件賛成派へのインタビューも行い、条件交渉を経て空港公団に土地を売却した者たちの赤裸々な思いを記録しているが、作品で用ることはなかった。 成田空港問題シンポジウムでは、映像資料として小川プロの映画作品が用いられている。 小川プロを離脱した吉田司は、小川による手放しの小農民賛歌は大地主の孫としての小川自身の贖罪意識から発しているとして、以下のエピソードを交えながらその手法や人格を批判している。『圧殺の森』の撮影では学生の保釈金を自治会から横取りしてフィルム代に充てており、吉田自身も早稲田大学から支給されていた奨学金を巻き上げられている。 スタッフが異性と交際すると、その相手に「あいつはお前といるとダメになる。別れろ」と別離を迫る。 カメラマンや専門スタッフは岩波映画から連れてきた人間にやらせ、学生スタッフにはカネ集め・宿舎造り・飯炊き・上映運動などの雑用をやらせる。散々奉仕させた人員をポイ捨てする(吉田は小川のことを「盗賊の親玉みたいなもん」と呼んでいる。その吉田自身も、小川プロ在籍時には「こいつの小市民精神を叩きのめせ!」とスタッフへの「査問」を行い、その友人に「こいつはこんなにどうしようもないヤツだ」と捲し立てて徹底的に人間関係を破壊した上で社会に帰していた)。
※この「小川プロに対する評価・批判等」の解説は、「小川紳介」の解説の一部です。
「小川プロに対する評価・批判等」を含む「小川紳介」の記事については、「小川紳介」の概要を参照ください。
- 小川プロに対する評価批判等のページへのリンク