小川による坂路コース建設の訴え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:15 UTC 版)
「テンポイント」の記事における「小川による坂路コース建設の訴え」の解説
小川は1976年にテンポイントを関東に遠征させた際、日本中央競馬会に獣医から「関東のコースにはゴール前に坂がある。関西にはない坂を走って馬が腰を悪くすることがあるから気をつけるように」と忠告を受けた。実際にテンポイントは東京4歳ステークスで腰を痛めた。小川は東京優駿で7着に敗れた後、新聞記者を集めて「関西馬が関東馬に負けるのは競馬場にも栗東トレーニングセンターにも坂がないからだ 」、「栗東トレセンの調教コースに坂を作らなければ関東馬にかなわない」とコメントし、栗東トレーニングセンターに上り勾配をつけるよう働きかけてくれと涙ながらに訴えた。この発言を受けて同年秋に栗東トレーニングセンター内の調教コースの一つ(Eコース)に勾配がつけられたほか、坂路コースを建設する気運が高まり、1985年に完成した。1990年代になると中央競馬では1970年代とは逆に「西高東低」の構図が定着し、その原因のひとつに美浦トレーニングセンターに坂路コースがないことが挙げられるようになった。このことについて競馬評論家の大川慶次郎は、「関西の時代を作る源となったのは、小川調教師とテンポイントだった」と評した。
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