小川の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
黒田参軍の指揮のもと、衝背軍は左翼に別働第1旅団、中央に同第2旅団、右翼に同第3旅団に展開し26日に進撃を開始、海上からは海軍艦船が援護した。激戦の末、薩軍を撃退して小川を占領した。この時永山弥一郎は「諸君何ぞ斯(かく)の如く怯なる、若し敵をして此地を奪はしめんか、熊本城外の我守兵を如何にせん、大事之に因て去らんのみ、生きて善士と称し、死して忠臣と称せらるゝは唯此時にあり、各死力を尽し刀折れ矢竭(つ)き而して後已(やまん)」と激励したが、戦況を逆転することはできなかった。
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