対外関係と交易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:13 UTC 版)
エジプトの本国はナイル川の領域に限られており、それ以外の地域は基本的にすべて外国とみなされていた。ナイル川流域でも、エレファンティネ(アスワン)の南にある第一急流によって船の遡上が阻害されるため、それより南は外国とみなされていた。この南の地域はヌビアと総称され、古王国以降の歴代王朝はたびたび侵攻し徐々に支配地域を南下させていったものの、動乱期になるとこの地域は再び独立し、統一期になると再びエジプトの支配下に入ることを繰り返した。この過程でヌビア地方はエジプトの強い影響を受け、のちに成立したクシュ王国においてもピラミッドの建設(ヌビアのピラミッド)をはじめとするエジプト文化の影響が各所にみられる。ヌビア以外の諸外国については中王国時代までは積極的な侵攻をかけることはほとんどなく、交易関係にとどまっていたものの、新王国期にはいるとヒクソスの地盤であったパレスチナ地方への侵攻を皮切りに、パレスチナやシリア地方の小国群の支配権をめぐってミタンニやヒッタイト、バビロニアなどの諸国と抗争を繰り広げるようになった。また、古王国期から新王国期末までの期間は、アフリカ東部にあったと推定されているプント国と盛んに交易を行い、乳香や没薬、象牙などを輸入していた。 エジプトの主要交易品と言えば金であった。金は上エジプトのコプトスより東に延びるワディ・ハンママート周辺や、ヌビアのワワトやクシュから産出された。この豊富な金を背景にエジプトは盛んに交易を行い、国内において乏しい木材・鉱物資源を手に入れるため、銅、鉄、木材(レバノン杉)、瑠璃などをシリア、パレスチナ、エチオピア、イラク、イラン、アナトリア、アフガニスタン、トルコなどから輸入していた。とくに造船に必須である木材は国内で全く産出せず、良材であるレバノン杉を産するフェニキアのビブロスなどからに輸入に頼っていた。ビブロスは中王国期にはエジプト向けの交易の主要拠点となり、当時エジプト人は海外交易船を総称してビブロス船と呼んだ。ビブロスからはまた、キプロスから産出される豊富な銅もエジプトに向け出荷されていた。このほかクレタ島のミノア文明も、エジプトと盛んに交易を行っていた。 下エジプト東端からパレスチナ方面にはホルスの道と呼ばれる交易路が地中海沿いに伸びており、陸路の交易路の中心となっていた。紅海沿いには中王国期以降エジプトの支配する港が存在し、上エジプトのナイル屈曲部から東へ砂漠の中を延びるルートによって結ばれていた。この紅海の港を通じてプントやインド洋沿海諸国との交易がおこなわれた。
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