対外関係における区分とは? わかりやすく解説

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対外関係における区分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:38 UTC 版)

李氏朝鮮」の記事における「対外関係における区分」の解説

一方対外関係を主体にみると、約500年に及ぶが明の朝貢国であった時代1393年 - 1637年)と、清の朝貢国であった時代1637年 - 1894年)、清と欧米列強および日本朝鮮対す影響力めぐって対立した末期19世紀後半 - 1910年)という3つの時区分大きく分けられる。 第1の区分末期には、日本豊臣政権侵攻による文禄・慶長の役胡乱後金(のちの清)による侵攻)という大きな戦争朝鮮半島内で発生しこの影響国土焦土化し、社会形体大きく様変わりしている。第2の区分時代には、清の支配反映して中国夷狄の国である清に支配されている以上、自国中華文明正統継承者であると言う考え小中華思想)や、逆に現実には武力国力清に太刀打ちすることは難しいことから臣下の国として礼を尽くすきとする思想事大主義)や、中国から離れている日本野蛮であると蔑視する中華思想などが保守的な儒学者中心として広く根付き朝鮮朱子学発達進んだその後儒教内部改革的実学思想生じ、又洋学などが発生した。これらは支配層からたびたび強い攻撃受けたが、開港後改革運動母体ともなった19世紀末期になると、清以外にも欧米列強日本大日本帝国)の介入が起こる。1894年日清戦争日本清朝戦って日本が勝ち、清朝との冊封関係も消滅したことで日本の強い影響下に置かれ朝鮮第3区分入った。しかしこの時代は、国内的にロシア日本対立巻き込まれ派閥対立絡んで深刻な政治状況陥った親日路線派は、親ロシア派攘夷派などの妨害受けた近代化論者の中にも親日派親露派攘夷派が混在しており、それが混乱拍車をかけた。日露戦争後日本の影響力の向上に伴い宮廷内では親日派の力が大きく伸張した。日本と韓国内部李完用などは日本大韓帝国保護国化併合する方針を採り、一進会は「韓日合邦」を主張した日露戦争後第二次日韓協約日本大韓帝国保護国化し、実質的な支配権確立した1910年日本大韓帝国韓国併合ニ関スル条約を結び、大韓帝国日本併合された。李王家貴族李王家朝鮮貴族として華族制度統合された。

※この「対外関係における区分」の解説は、「李氏朝鮮」の解説の一部です。
「対外関係における区分」を含む「李氏朝鮮」の記事については、「李氏朝鮮」の概要を参照ください。

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