宙組誕生から100周年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:25 UTC 版)
「宝塚歌劇団」の記事における「宙組誕生から100周年まで」の解説
1997年12月に、旧・東京宝塚劇場を閉場して、新築立て替え工事を開始する。工事期間中は、帝国劇場で2回公演したのちに、有楽町駅近傍で仮設のTAKARAZUKA1000days劇場を設けて公演を継続し、約1,000日間使用された。 1998年1月、東京で通年公演実現のため、宙組が新設される。初代トップスターは姿月あさと、トップ娘役は花總まり。香港公演『夢幻宝寿頌』『This is TAKARAZUKA!』が組として最初の公演となる。 1999年に、愛華みれと稔幸がトップスターに就任する。すでにトップの地位にあった真琴つばさ・轟悠とともに、2001年まで同期生トップスターとして並び立つ。同時期に4名は最多となる。 2000年5月、当時の2番手・3番手男役スター10名全員が専科へ異動することが発表された。突然の事態にファンは騒然となり、公式ウェブサイトにアクセスが殺到した。 専科は、黎明期に分野別に実力のあるスターが配属され、1970年代まではスターが所属し各組へ主演格で特別出演していたが、スターシステムの確立以後はベテラン脇役が所属することが慣例となり、スター10名が一度に異動することは稀であった。劇団は、従来の専科と異なりスターとして特別出演すると説明しており、異動者の中からは後に各組のトップスターに就任する者もいた。 詳細は「専科 (宝塚歌劇)#新専科」を参照 2001年に、新・東京宝塚劇場が開場する。建設期間中の1998年から2000年まで3年間は、仮設の1000days劇場の稼働率は96% で、その後も東京はほぼ100%を堅持したが、人口が少なく劇場の大きい宝塚は90%前後であった。隣接した宝塚ファミリーランドが閉鎖されるなど、歌劇団の制作部企画室もファンの高齢化を指摘した。 2004年は、創立90周年を迎えて「百年への道」と冠した歌を奉唱した。安蘭けい、瀬奈じゅん、貴城けい、水夏希、霧矢大夢、大和悠河ら当時の中堅スター6名が所属していた組以外の公演に特別出演し、瀬奈と水は後に出演した組への組替えを経て、トップスターに就任している。 2009年は、創立95周年を迎えて同題で奉祝式典を挙行するなど、来る2014年の創立100周年を志向するほかに、『太王四神記』『相棒』などの人気テレビドラマや、『逆転裁判』などゲームを題材にした作品の上演など新機軸に取り組み、本公演の公演期間を短縮して5組化以降の懸案だった年10回の本公演を実現した。一方、東西両方の劇場で従来のA席・B席を大幅に縮減してSS席・S席のチケットを値上げした。 2010年は、本拠地の宝塚大劇場の年間動員数が100万人を割り込み、約80万人にとどまった。阪神・淡路大震災の影響で約2か月半休演して通常より公演期間が短く、約96万人であった1995年度以来、初めて100万人を下回った。
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