宋易と風水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 09:59 UTC 版)
漢代から宋代にかけての儒易の系譜は、経典儒と呼ばれ、四書五経を重んじ、礼儀を第一に尊ぶ規範としての学問である。『易経』は占卜の書とはいっても、もっぱら儒教の倫理を説き、儒家としての正しい処世を求めるため、経文の解釈はもっぱら十翼に偏向した。 しかし、宋代から明代にかけて、儒易の系譜は、横渠学・朱子学・陽明学へと連なる、理学という学問体系を形成した。 まず、北宋時代に入ると、易卦を数理的に解釈する、象数易というものが誕生した。象数家の系譜は、円図・方図を作ったとされる陳摶(陳希夷)に始まり、种放・穆修・李之才(李挺之)、そして『皇極経世』を編んだ邵雍(邵康節)などの人脈を生んだ。 円図・方図は、現代に続く風水の系譜のなかで亜流となっている元合派、つまり三元派や三合派と呼ばれるグループの理論的な拠り所である。五術のなかでも、成立年代が古く、宋以前からある「三式」即ち、太乙神数、奇門遁甲、六壬神課などは、理気においても円図・方図を根拠とはしないことからも、元合派の成立は宋の象数易以後であると考えられる。 方図坤 剥 比 観 豫 晋 萃 否 謙 艮 蹇 漸 小過 旅 咸 遯 師 蒙 坎 渙 解 未済 困 訟 升 蠱 井 巽 恒 鼎 大過 姤 復 頤 屯 益 震 噬嗑 随 无妄 明夷 賁 既済 家人 豊 離 革 同人 臨 損 節 中孚 帰妹 睽 兌 履 泰 大畜 需 小畜 大壮 大有 夬 乾 宋代の経典儒としては、『太極図説』を編み「後天優勢、以学為志」を説いた周敦頤(周濂渓、1017-1073)、「気即理」を説き「横渠学」を立てた張載(張横渠、1020-1077)、そして「性即理」「天理」を説いた程顥(程明道、1032-1085)と「心即理」「理気二元」を説いた程頤(程伊川、1033-1107)の兄弟が「理」について異論を唱え、それぞれの学派を形成する。 程顥の系統は、南宋の朱熹(朱元晦、1130-1200)へと引き継がれ「朱子学」となる。 程頤の系統は、南宋の陸九淵(陸象山、1139-1193)へと引き継がれ、さらに明の王守仁(王陽明、1472-1529)によって「陽明学」が打ち立てられ、さらに王畿(王龍渓、1498-1583)、李贄(李卓吾、1527-1602)と続く。 宋・明の「理学」にあっては、「気」と「理」のあり方がもっとも問われるところである。「気」とは自然、つまり先天的に存在する数理のようなロジックであり、経験則と言い換えることもでき、「格物致知」という「大学」以来の理念によって現出される。しかし「理」とは倫理であり、もともと人間に生まれつき備わるものなのか、学ぶことによって後天的に得るものなのか、あるいは行いによって初めて真実となるのか、などが争われたのである。 宋の象数易以前は、風水を観察する者にとって「気」を読むこと、つまり経験則だけが頼りであり、「三式」などの理論も、もっぱら「記号類型」という経験則であり、「理」と言えるような根拠は持ち得なかったのである。
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