周濂渓とは? わかりやすく解説

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しゅう‐れんけい〔シウ‐〕【周濂渓】

読み方:しゅうれんけい

周敦頤(しゅうとんい)


周濂渓

宋代儒者。字は茂叔、名は惇実、のちに英宗の名を避けて惇頤に改名、濂渓は号、謚は元公学問を鄭瑕や鶴林寺の僧寿涯に学ぶ。諸官歴任して南京の分司となる。『太極図説』等の著がある。頤寧6年(1073)歿、57才。

周敦頤

(周濂渓 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 03:57 UTC 版)

周 敦頤(しゅう とんい、繁体字: 周敦頤; 簡体字: 周敦颐; 拼音: Zhōu Dūnyí; ウェード式: Chou Tun-i天禧元年(1017年)- 熙寧6年6月7日1073年7月14日))は、中国北宋時代の儒学者茂叔。号は濂渓道州営道県の出身。




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