学生寮・学生自治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 17:50 UTC 版)
学生寮では、ほぼ全てが自治寮として運営されている(ただし、こまくさ寮と思誠女子寮には自治組織があるものの実質的には管理寮である)。例えば旧制松本高等学校からの寮である思誠寮には庶務部、生活部、炊事部、文化部の四委員会と、それを統括する総務委員会(総務委員長・副総務・対外総務・会計総務)が組織され、この総務委員会を筆頭に各部がそれぞれの担当を持ち、寮を運営している。また、委員会活動や特に寮予算に関しては半期ごとに方針・総括といった寮生全員での会議が行われ、特に寮予算を会計監査がチェックする機構を持つ。全国的には、このような自治組織を持つ寮が急速に減っている中で、高い自治能力を持つ学生寮が複数残っていることは比較的珍しく、信州大学の特徴の一つといえる。 学生寮が自治寮として維持できる理由は、寮生自身の自治意識が比較的高いことがまず挙げられる。加えて、そもそも長野県には自治・独立の気風があることも影響していると考えられる。また、日本の自治学生寮はしばしば特定の政治思想を持った団体との関係を持つことがあるが、信州大学の学生寮は基本的に全て政治的、思想的、宗教的に中立(良い意味での無関心)であることも考えられる。 寮自治意識の高さを物語るエピソードとしては、農学部キャンパス生協設立運動がある。昭和60年に農学部キャンパス内にあった食堂が経営不振のため突然閉鎖され寮食堂との統合案が示された。寮自治の精神から対案は学生自らが決めるべきと考えた中原寮生は、寮食堂とキャンパス内食堂の維持と、以前からの懸案事項であった書籍店の学内への設置案を示し運動を始めた。これが全学的な生協設立運動に発展し、農学部キャンパスへの生協食堂、書籍部の設立に至った。特筆すべきは、この運動が特定の政治思想・団体に関係することなく行われたことである。いわゆる「学生運動」の時代が既に過去のものとなっており、全国的に大学や寮の自治意識低下がすでに始まっていた昭和60年代にあって、なお、全学を巻き込むような運動を行うパワーを寮が維持できていたことは、記録に留めておくべきであろう。しかし、近年、日本全国レベルで、自治意識の低下が見られる中、信州大学寮もその例に漏れず、存続の動向が気になる。各寮の連合体として、信州大学学生寮自治連合(信寮連)が存在したが、平成7年より活動を凍結している。一方で、寮長会議を定期的に開催し、学寮間の連絡を図る努力は重ねられている。 思誠寮(松本・人文学部、経済学部、理学部) 思誠女子寮(松本・人文学部、経済学部、理学部の女子) 芙岳寮(松本・医学部) こまくさ寮(松本・1年生) あけぼの寮(長野・教育学部) 若里寮(長野・工学部) 中原寮(南箕輪村・農学部) 修己寮(上田・繊維学部) 旧制高校での青春を描いた『どくとるマンボウ青春記』(北杜夫)には、旧制松本高等学校の思誠寮での実話が綴られている。新制大学に移行後も、木造の旧思誠寮は信州大学の学生寮として昭和58年まで使用され、かつて、多くの高校生がこの著書を読み、信州大学の学生寮に憧れ、その門をくぐった。
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