女流棋士時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:56 UTC 版)
2020年度は、女流棋士として棋戦初参加の女流王位戦と女流名人戦で挑戦者となったが、いずれもタイトル保持者であった里見香奈に0勝3敗のストレート負けとなった。 2021年7月14日、第3期清麗戦挑戦者決定戦で鈴木環那に勝利し、9月23日より始まる五番勝負で里見香奈清麗に挑戦することになった。同年11月17日、〇〇XXのフルセットで迎えた第5局に勝利して、2019年4月の女流棋士転向からでは初タイトル、2018年度の無冠転落からでは3年ぶりのタイトルとなる清麗を獲得した。 2021年9月27日、第29期大山名人杯倉敷藤花戦挑戦者決定戦で野原未蘭に勝利し、11月1日より始まる三番勝負で里見香奈倉敷藤花に挑戦することになった。同年11月21日、1勝1敗のフルセットで迎えた第3局で敗れ、連続でのタイトル獲得はならなかった。 2021年12月6日、第2回女流ABEMAトーナメント決勝で香川愛生・野原未蘭とのチームでチーム西山(西山朋佳・上田初美・山口恵梨子)に勝利し、女流初の団体戦で優勝した。
※この「女流棋士時代」の解説は、「加藤桃子」の解説の一部です。
「女流棋士時代」を含む「加藤桃子」の記事については、「加藤桃子」の概要を参照ください。
女流棋士時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 04:43 UTC 版)
「藤田麻衣子 (女流棋士)」の記事における「女流棋士時代」の解説
将棋を覚えたのは大学時代で21歳のとき。大学での勉強に行き詰っていたころ、覚えることの多い数学などと違い、ルールをいったん覚えればあとは応用だけの将棋にひかれたという。 1996年4月、日本将棋連盟女流育成会に入会。1997年10月、女流2級としてプロ入り。得意戦法は矢倉。 2002年4月から2004年3月まで、女流育成会幹事を務めた。 2005年6月に結婚し、同年10月1日付で棋士活動名を比江嶋姓から藤田姓へ変更した。 2007年5月 日本女子プロ将棋協会(LPSA)の旗揚げに参加し、同年6月に連盟より移籍。連盟に対し、移籍か残留かの表明を最後に届け出た。LPSAではウェブサイトの作成・運営、「日めくり詰め将棋カレンダー」などグッズの企画・デザイン、協会ロゴマークのカラーデザインなどを担当した。北尾まどかがルールを考案したどうぶつしょうぎのデザインも担当した。 2010年3月31日付で女流棋士を引退。同時にLPSAから退会。女流棋士としての身分を放棄した。
※この「女流棋士時代」の解説は、「藤田麻衣子 (女流棋士)」の解説の一部です。
「女流棋士時代」を含む「藤田麻衣子 (女流棋士)」の記事については、「藤田麻衣子 (女流棋士)」の概要を参照ください。
女流棋士時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:25 UTC 版)
2021年4月1日、奨励会の年齢制限を前にして、奨励会を退会して女流棋士に転向することを明らかにした。同日、女流棋士への資格申請書を連盟に提出した。奨励会三段であった西山は、奨励会規定「奨励会2級以上で退会の場合は、退会時の段級位でそのまま女流棋士の資格を得る」により、2021年4月1日付で女流三段となった。 6月1日、第14期マイナビ女子オープン五番勝負第5局で挑戦者の伊藤沙恵に勝利。3勝2敗でシリーズを制して4連覇。女流棋士転向後のタイトル獲得により、2021年6月1日付で連盟正会員となった。 7月9日、第1期ヒューリック杯白玲戦の順位決定リーグ・順位決定トーナメントを勝ち抜き、渡部愛との七番勝負を決定した。 10月16日、第1期ヒューリック杯白玲戦七番勝負第4局で渡辺愛に勝利。4勝0敗のストレートでシリーズを制し、初代白玲となった。
※この「女流棋士時代」の解説は、「西山朋佳」の解説の一部です。
「女流棋士時代」を含む「西山朋佳」の記事については、「西山朋佳」の概要を参照ください。
- 女流棋士時代のページへのリンク