女流棋戦創設後
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1974年に女流棋戦が創設されると第一期の女流棋士6人のうちの1人となり、女流初段となった。 1974年10月31日に、関根紀代子を相手に女流将棋の最初の公式戦を行った。 1977年、第4期女流名人位戦で蛸島彰子から名人位を奪取し、2人目の女流名人となって第7期まで4連覇した。林葉直子が登場するまで蛸島と2強時代を築いた。 1981年2月19日には棋士の公式戦に女性としては初めて参加し、第12期新人王戦で高橋道雄と戦ったが敗北している。 2007年には日本女子プロ将棋協会(LPSA)の旗揚げに参加している。 詰将棋創作活動も行っており、LPSAが制作する『日めくり詰め将棋カレンダー2009』では選考委員長を務めた。 2012年3月31日、「女流棋士規程」により現役女流棋士を引退。同年4月1日より、ツアー女子プロとしてLPSAの棋戦に出場する。なお、普及活動においては引き続き「女流五段」を名乗る。またアマチュアとして連盟主催の公式戦に出場することもあるが、その際は本名の「中川カズ子」を名乗る。 2015年4月、LPSA公認制度見直しにより、LPSAプロとなる。
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