天災と反乱とは? わかりやすく解説

天災と反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 08:52 UTC 版)

安帝 (漢)」の記事における「天災と反乱」の解説

永初2年108年春正月、鄧騭が冀西において種羌に敗れた。冬10月には征西校尉の任尚が平襄において先羌に敗れた11月には鄧騭は大将軍任命され、任尚を隴右に残し京師帰還した。先羌の反乱は収まらず、三輔益州被害にあった永初3年109年春正月安帝元服した。先討伐騎都尉の任仁を派遣したが、戦況は不利であった高句麗使者が来た。この頃後漢帝国には飢饉蔓延していたが、3月にはとうとう京師にまでそれが及んだ司徒恭が免職となり、4月夏勤後任となった安帝実家清河王家の継嗣死去したため、5月楽安王家から後継迎えた。秋7月には海賊被害出て侍御史の龐雄に州郡の兵士率いさせこれを討伐した。9月には烏桓鮮卑反乱し五原郡被害がでた。冬10月には匈奴の南単于反乱起こし中郎将の耿种を派遣し11月には車騎将軍の何熙をも遣わした12月には引き続く天災により、并州涼州ではひどい飢饉となっていた。 永初4年110年春正月前年海賊被害拡大していたため、御史中丞王宗青州刺史法雄討伐させ、これを破ったまた、度遼将軍慬と遼東太守耿夔命じて匈奴の南単于攻撃させた。2月には初め長安に雍二営都尉設置された。3月匈奴の南単于降伏したが、先羌は引き続き猛威振るっていた。秋7月には騎都尉の任仁は獄に下され死去している。この間劉珍五経博士命じて東観の経典校定させた。冬10月には新野君とされていた陰氏が死去した永初5年111年春正月日食起きた太尉張禹免職となり、修が後任となった。先羌の活動続き漢人にもこれに与する者が現れ始めた永初6年112年)、天候不順続き、夏4月司空張敏免職となり、劉愷後任となった各地反乱続き、冬11月には護烏桓校尉の呉祉が投獄され死去しているが、先羌の頭目死去するなど、弱体化兆し見え始めた永初7年113年秋には、護羌校尉侯覇騎都尉の馬賢が先羌を破っている。 元号永初から元初改められたが、天候不順続いた。先羌も勢力盛り返し9月には武都漢中拠って隴道を断ち涼州刺史の皮陽と狄道戦った。この月に太尉修が免職となり、司馬がそれに代わった。 元初2年115年3月、先羌が益州侵攻し中郎将の尹就がこれを討伐した。夏4月貴人であった閻氏を皇后とした。6月には太尉司馬死去し、秋7月に馬英が後任となったこの間地震の被害京師襲った。冬10月中郎将の任尚に乱れていた三輔駐屯させた。右扶風仲光安定太守恢・京兆虎牙都尉の耿溥が先羌と奚城において戦った大敗した左馮翊司馬鈞らが投獄され自殺した12月には武陵蛮が反乱起こした司徒夏勤辞職し司空劉愷司徒袁敞司空となった元初3年116年春正月蒼梧鬱林合浦の蛮が反乱し2月侍御史の任逴が派遣され州郡の兵士指揮しこれを討った5月には武陵蛮が再び反乱起こし、州と郡が討伐あたった。先に対して度遼将軍の鄧遵が南匈奴率いて討伐向かい霊州戦いこれを破った6月には中郎将の任尚が先羌を奚城において撃破した。秋7月には武陵蛮が平定され、冬11月には蒼梧鬱林合浦の蛮が降伏した12月に、任尚は先羌を北地において撃破した元初4年117年)春2月日食起き、夏4月司空袁敞死去した同月鮮卑遼西侵攻したが、遼西郡烏桓協力しこれを撃退した。護羌校尉となっていた任尚は9月刺客送って羌の頭目殺害し12月には騎都尉の馬賢と共に富平上河で先羌の軍勢大い破り、隴右を平定した。 元初5年118年春正月長らく動静不穏であった越巂夷が反乱起こし永昌益州蜀郡の夷もこれに呼応し益州刺史張喬がこれを討伐した。夏6月には高句麗濊貊玄菟郡攻撃したこの間天災続き倹約励行する詔勅発布された。元初6年119年)春2月には、人材求め詔勅出された。秋7月鮮卑馬城侵略し度遼将軍の鄧遵は再び南単于率いてこれを撃破した永寧元年120年3月、沈氐種羌が張掖侵攻した6月に護羌校尉となっていた馬賢がこれを討ち破ったこの間、夏4月劉保皇太子となった。冬10月司空郃が免職となり、陳褒が後任となったこの間日食長雨被害続いた12月司徒劉愷罷免され楊震後任となった

※この「天災と反乱」の解説は、「安帝 (漢)」の解説の一部です。
「天災と反乱」を含む「安帝 (漢)」の記事については、「安帝 (漢)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「天災と反乱」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天災と反乱」の関連用語

天災と反乱のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天災と反乱のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの安帝 (漢) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS