天災と反乱
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永初2年(108年)春正月、鄧騭が冀西において種羌に敗れた。冬10月には征西校尉の任尚が平襄において先零羌に敗れた。11月には鄧騭は大将軍に任命され、任尚を隴右に残し京師に帰還した。先零羌の反乱は収まらず、三輔や益州が被害にあった。 永初3年(109年)春正月、安帝は元服した。先零羌討伐に騎都尉の任仁を派遣したが、戦況は不利であった。高句麗の使者が来た。この頃の後漢帝国には飢饉が蔓延していたが、3月にはとうとう京師にまでそれが及んだ。司徒の魯恭が免職となり、4月に夏勤が後任となった。安帝の実家の清河王家の継嗣が死去したため、5月に楽安王家から後継を迎えた。秋7月には海賊の被害が出て、侍御史の龐雄に州郡の兵士を率いさせこれを討伐した。9月には烏桓と鮮卑が反乱し、五原郡に被害がでた。冬10月には匈奴の南単于が反乱を起こし、中郎将の耿种を派遣し、11月には車騎将軍の何熙をも遣わした。12月には引き続く天災により、并州と涼州ではひどい飢饉となっていた。 永初4年(110年)春正月、前年の海賊の被害が拡大していたため、御史中丞の王宗と青州刺史の法雄に討伐させ、これを破った。また、度遼将軍の梁慬と遼東太守の耿夔に命じて匈奴の南単于を攻撃させた。2月には初めて長安に雍二営都尉が設置された。3月に匈奴の南単于は降伏したが、先零羌は引き続き猛威を振るっていた。秋7月には騎都尉の任仁は獄に下され死去している。この間、劉珍と五経博士に命じて東観の経典を校定させた。冬10月には新野君とされていた陰氏が死去した。 永初5年(111年)春正月、日食が起きた。太尉の張禹が免職となり、李修が後任となった。先零羌の活動は続き、漢人にもこれに与する者が現れ始めた。 永初6年(112年)、天候の不順は続き、夏4月に司空の張敏が免職となり、劉愷が後任となった。各地で反乱が続き、冬11月には護烏桓校尉の呉祉が投獄され死去しているが、先零羌の頭目が死去するなど、弱体化の兆しが見え始めた。永初7年(113年)秋には、護羌校尉の侯覇と騎都尉の馬賢が先零羌を破っている。 元号が永初から元初に改められたが、天候の不順は続いた。先零羌も勢力を盛り返し、9月には武都と漢中に拠って隴道を断ち、涼州刺史の皮陽と狄道で戦った。この月に太尉の李修が免職となり、司馬苞がそれに代わった。 元初2年(115年)3月、先零羌が益州に侵攻し、中郎将の尹就がこれを討伐した。夏4月、貴人であった閻氏を皇后とした。6月には太尉の司馬苞が死去し、秋7月に馬英が後任となった。この間、蝗や地震の被害が京師を襲った。冬10月に中郎将の任尚に乱れていた三輔に駐屯させた。右扶風の仲光・安定太守の杜恢・京兆虎牙都尉の耿溥が先零羌と奚城において戦ったが大敗した。左馮翊の司馬鈞らが投獄され自殺した。12月には武陵蛮が反乱を起こした。司徒の夏勤が辞職し、司空の劉愷が司徒、袁敞が司空となった。 元初3年(116年)春正月、蒼梧・鬱林・合浦の蛮が反乱し、2月に侍御史の任逴が派遣され州郡の兵士を指揮しこれを討った。5月には武陵蛮が再び反乱を起こし、州と郡が討伐にあたった。先零羌に対しては度遼将軍の鄧遵が南匈奴を率いて討伐に向かい、霊州で戦いこれを破った。6月には中郎将の任尚が先零羌を奚城において撃破した。秋7月には武陵蛮が平定され、冬11月には蒼梧・鬱林・合浦の蛮が降伏した。12月に、任尚は先零羌を北地において撃破した。 元初4年(117年)春2月、日食が起き、夏4月に司空の袁敞が死去した。同月に鮮卑が遼西に侵攻したが、遼西郡は烏桓と協力しこれを撃退した。護羌校尉となっていた任尚は9月、刺客を送って先零羌の頭目を殺害し、12月には騎都尉の馬賢と共に富平上河で先零羌の軍勢を大いに破り、隴右を平定した。 元初5年(118年)春正月、長らく動静が不穏であった越巂夷が反乱を起こし、永昌、益州蜀郡の夷もこれに呼応し、益州刺史の張喬がこれを討伐した。夏6月には高句麗と濊貊が玄菟郡を攻撃した。この間も天災が続き、倹約を励行する詔勅が発布された。元初6年(119年)春2月には、人材を求める詔勅も出された。秋7月、鮮卑が馬城を侵略し、度遼将軍の鄧遵は再び南単于を率いてこれを撃破した。 永寧元年(120年)3月、沈氐種羌が張掖に侵攻した。6月に護羌校尉となっていた馬賢がこれを討ち破った。この間、夏4月に劉保が皇太子となった。冬10月に司空の李郃が免職となり、陳褒が後任となった。この間、日食と長雨の被害が続いた。12月に司徒の劉愷が罷免され、楊震が後任となった。
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