天徳院庭園
名称: | 天徳院庭園 |
ふりがな: | てんとくいんていえん |
種別: | 名勝 |
種別2: | |
都道府県: | 和歌山県 |
市区町村: | 伊都郡高野町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1970.06.26(昭和45.06.26) |
指定基準: | 名1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 江戸初期ニ築造サレタルモノニシテ小堀政一ノ作ナリト傳ヘラル池ヲ設ケ鶴島亀島ノ中島ヲ置キ石橋ヲ架ケテ之ヲ繋グ庭園ノ後半ハ自然ノ傾斜地ヲ利用シテ築山トナシ山麓ニ立石ヲ用ヒ枯瀧ヲ現ハス池汀ニ庭石ヲ組ミ庭樹トシテハあせび、しやくなげ等多シ多少荒廢セル跡ヲミルモ猶能ク築造當時ノ形態ヲ存ス S44-12-015天徳院庭園.txt: 天徳院客殿の南にある林泉庭園である。池を中心としておだやかな意匠に構成されている。池中に大小2つの島を低く据え、石橋でこれらをつなぐ。対岸は自然の傾斜地を築山として扱い、右手、頂きに近く奥まった高みに遠山石を立てる。池畔左手に枯れ滝石組を設けて庭の主景としている。背景は、スギ・マツ・サワラ・イチイなどの高木林につつまれ、山すそから池辺にかけては、アセビ・シャクナゲ・イヌツゲ・ツツジなどの刈り込みを配する。 天徳院は、元和年間、加賀藩主前田利常の創建で(庭後にその廟所がある)作庭もその際に行なわれたと考えてよいであろう。元治元年堂宇のいっさいが焼失したが、庭園はよく当時の地割と石組とを保っている。池辺の石組その他、若干荒廃しているが、後補の跡の少ないことがかえって好ましい。今後計画的に修復整備をはかることが可能である。 高野山には、普門院・旧丹生院などに古庭園があり、戦前「第2類」の名勝として指定されたものもあるが、それらのうち天徳院庭園は最も優秀なものと認められる。 |
天徳院 (和歌山県高野町)
(天徳院庭園 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 05:42 UTC 版)
天徳院 | |
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所在地 | 和歌山県伊都郡 高野町高野山370番地 |
位置 | 北緯34度12分43.4秒 東経135度35分3.3秒 / 北緯34.212056度 東経135.584250度座標: 北緯34度12分43.4秒 東経135度35分3.3秒 / 北緯34.212056度 東経135.584250度 |
山号 | 高野山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
寺格 | 別格本山 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 江戸時代初頭 |
開基 | 覚雄 |
別称 | 西光院(旧称) |
法人番号 | 9170005004905 |
天徳院(てんとくいん)は、和歌山県伊都郡の高野山にある寺。金剛峯寺の南、高野山大学の西に位置する。前田利常の正室・珠姫(戒名は天徳院、徳川秀忠の二女)の菩提を弔っている。
当初は西光院といい、南側にあった西光院谷という地名にその痕跡が残る。寛永5年(1628年)に没した前検校の覚雄によって開基されており、元和8年(1622年)に逝去した珠姫の菩提寺となった際に天徳院と改称し、西光院は現在の谷上院谷に移転したと考えられている[1]。後に桂昌院により、浅野長矩と赤穂浪士の位牌も祀られている。高野山の学侶方として、35石を領していた。また、室下に4院を置き大和国に末寺が1院あった[2]。
文化財など
参考文献
- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年~2002年 を基にしたデータベース)
関連項目
外部リンク
- 天徳院庭園のページへのリンク