大西洋単独無着陸飛行とは? わかりやすく解説

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大西洋単独無着陸飛行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 21:09 UTC 版)

チャールズ・リンドバーグ」の記事における「大西洋単独無着陸飛行」の解説

1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグスピリットオブセントルイス号ライアンNYP)にサンドイッチ4つ水筒2本分1700リットルガソリン積んでニューヨーク・ロングアイランドのぬかるんだルーズベルト飛行場滑走路離陸途中海面近くまで降りアイルランド海岸までの距離を聞こう漁船向かって叫んだ上手くいかなかった。5月21日2221分(到着時の現地時刻)、パリル・ブルジェ空港着陸、大西洋単独無着陸飛行に初め成功した。この時、リンドバーグ25歳であった飛行距離は5,810kmで飛行時間33時間半だった。これによりリンドバーグは、ニューヨークパリ間を無着陸飛んだ者に与えられるオルティーグ賞とその賞金25,000ドル、さらに世界的な名声得たスピリットオブセントルイス号は、リンドバーグ指示の下に特別にカスタマイズされた機体であった多量燃料ガソリン)を積むべく操縦席前方燃料タンク設置したため、座席からは直接前方見えず潜望鏡のようなものを使うか、機体側面の窓から顔を出す必要があった。当時無名操縦士だったリンドバーグには出資者少なかったため、他のオルティーグ賞挑戦者のように大型機材用意できず、また機材そのものリンドバーグ望んだベランカ社製品より性能の低いものにせざるを得なかったことから、前方視界犠牲にして燃料搭載量増やすことで対処したのである。 さらにバックアップ操縦士乗せることもできなかったため、パリまでの全行程一人操縦し続けるという過酷な飛行となった飛行中リンドバーグは強い睡魔襲われたが、これを克服してパリ到達した。現在、この機体スミソニアン航空宇宙博物館展示されている。 「リンドバーグ大西洋無着陸飛行初め成功した」と誤解されがちだが、単独でない大西洋無着陸飛行については、1919年ジョン・オールコックアーサー・ブラウン達成している。これは、6月14日から6月15日にかけての16時間でニューファンドランド島からアイルランドへ1,890kmを飛行したものであったその他の大西洋横断飛行については「大西洋横断飛行」を参照)。 また、パリ上空で「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだとされるが、この台詞後世の脚色であり、リンドバーグその時自分パリ着いたことも分らなかったという。実際に発した最初言葉としては、「誰か英語を話せる人はいませんか?(この後英語を話せる人に「ここはパリですか?」と尋ねる)」であるという説と、「トイレはどこですか?」であるという説の2つがある。いずれにせよ、「翼よ、あれがパリの灯だ!」の出所自伝 "The Spirit of St. Louis"の和訳題であり、日本語では広く知られているが、英語圏ではこれに対応するよく知られ台詞存在しない

※この「大西洋単独無着陸飛行」の解説は、「チャールズ・リンドバーグ」の解説の一部です。
「大西洋単独無着陸飛行」を含む「チャールズ・リンドバーグ」の記事については、「チャールズ・リンドバーグ」の概要を参照ください。

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