スピリットオブセントルイス号とは? わかりやすく解説

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スピリットオブセントルイス号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/15 06:23 UTC 版)

スピリット・オブ・セントルイス号(英語:Spirit of St. Louis)は、1927年5月21日チャールズ・リンドバーグによって、ノンストップでの大西洋横断単独飛行に成功したライアン・エアラインズ英語版社(後のライアン・エアロノーティカル英語版社とは別法人)製の単発機ライアン NYP-1愛称である。愛称はリンドバーグによって名付けられた。


  1. ^ 同時期、オルティーグ賞を狙っていた面々の中には著名な冒険家である軍人リチャード・バードもおり、バードらの搭乗した3発機フォッカー・トライモーターはリンドバーグの約1ヶ月後、ニューヨークから離陸してフランスの海岸まで到達した。従って、リンドバーグの危惧は決してオーバーなものではなかった。
  2. ^ ベランカが25,000ドル、リチャード・バードの搭乗したフォッカー・トライモーターが100,000ドル程度した当時ではこのライアンの価格は格安で、資金の乏しかったリンドバーグには願ってもない条件であった。マホーニーが破格の値引きを決断したこともこの低価格の背景であった。
  3. ^ 1927年の飛行当時、未開拓であった大西洋航空路上にはオルティーグ賞参加機以外の航空機は飛んでおらず、コースには高い山も存在しなかったので、無事離陸してアメリカ大陸を離れれば空中衝突のリスクはほとんどなかった。
  4. ^ ライアン・エアラインズは弱小新興メーカーであり、製品のM-1、M-2は手堅いが平凡な機体であった
  5. ^ 航続距離とほぼ同意だが、リンドバーグは距離よりも滞空時間を重視していた、これは航法誤差により目的空港が見つからなかった場合、捜索する余裕を飛行時間に含めていたためである。
  6. ^ 単独の長距離飛行なので、交代で仮眠もできなかった。リンドバーグ自身も、飛行中に強い睡魔に何度も襲われたと自伝で述べている。
  7. ^ 同時期に大西洋無着陸横断に挑戦した2名以上搭乗の機体には無線機を積んでいた事例もあったが、それでも飛行に失敗して消息不明となってしまったケースが複数ある。この当時、陸地と遠く離れた大西洋上でトラブルが起きたとしても、遭難機体の着水位置を把握して速やかに救助することは到底不可能であり、リンドバーグの捨て身とも思える割り切りにも相応の合理性はあった。
  1. ^ 野沢正『日本航空機総集 第六巻輸入機篇』 出版共同社 1972年 P.105
  2. ^ a b c d e f g 清水郁郎「空夢 Ryan NYPの復元 Part1」『航空ファン』通巻819号(2021年3月号)文林堂 P.76-77


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