大西洋・地中海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 16:18 UTC 版)
「エセックス (空母)」の記事における「大西洋・地中海」の解説
1957年秋、「エセックス」はNATOによる演習ストライクバック作戦(英語版)に対潜空母として参加。これは従来型の空母7隻(エセックス、タラワ、ワスプ、イントレピッド、アーク・ロイヤル、ブルワーク、イーグル)、戦艦2隻(アイオワ、ウィスコンシン)、重巡洋艦2隻(メイコン、オールバニ、戦術指揮艦ノーザンプトン、軽巡洋艦3隻に加えて戦後第1世代型空母のフォレスタル級航空母艦2隻(フォレスタル、サラトガ)、世界初の防空ミサイル巡洋艦2隻(ボストン、キャンベラ)と原子力潜水艦2隻(ノーチラス、シーウルフ)等の計200隻が参加する大規模なもので、“ノルウェー北方沖からの脅威”を想定したものだった。1958年2月からは第6艦隊に加わって地中海東部に向かった。7月15日には、イラク7月14日革命とレバノン危機 (en) に呼応して空母「サラトガ」、「ワスプ」やミサイル巡洋艦「ボストン」、重巡洋艦「デモイン」とともにベイルートに進出するアメリカの平和維持軍の上陸を手助けし、8月20日まで哨戒活動を続けた。次いで、第二次台湾海峡危機が起きたため、「エセックス」は第7艦隊の増援として極東水域に進出するよう命を受け、スエズ運河を通過して台湾近海に向かった。9月16日に真珠湾へ戻る空母「ミッドウェイ」と入れ替わる形で空母「シャングリラ」、「ハンコック」、「レキシントン」等とともに台湾海峡に展開した。 任務を終えた後、メイポートに帰投し所定の航空業務を終えた。「エセックス」は地中海東部に戻り、1959年秋には第2艦隊およびイギリス艦隊と合流して行動。同年12月には、フランスのフレジュスで発生した洪水の被災者の救援活動に従事した。 1960年春、エセックスは対潜支援空母(ASW)に艦種変更され、ロードアイランド州クォンセット・ポイント(英語版)を母港とし、第18空母戦隊と第3対潜空母群の旗艦を兼ねることとなった。ニュージャージー州沖での救助活動の後、「エセックス」は海軍少尉候補生を乗せ、インド洋に向かった。その途中、NATOとCENTOの訓練に参加し、スエズ運河を通過してカラチとアデン、イギリス連邦内の二港に寄港した。11月には、フランス海軍との合同演習「ジェットストリーム作戦」に参加した。
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