大西洋対岸の逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:16 UTC 版)
「ホーリー・ハーヴェイ・クリッペン」の記事における「大西洋対岸の逮捕」の解説
その間、クリッペンとル・ネーヴはモントローズ号で大西洋を横断し、ル・ネーヴは男装した。船長ヘンリー・ジョージ・ケンダルは2人が逃走中の人物であると認識し、船が船上送信機の範囲外に出てしまう前に、通信士ローレンス・アーネスト・ヒューズに無線通信をイギリス当局に送らせた。 "Have strong suspicions that Crippen London cellar murderer and accomplice are among saloon passengers. Mustache taken off growing beard. Accomplice dressed as boy. Manner and build undoubtedly a girl." 「ロンドン地下室殺人犯クリッペン並に共犯談話室船客中にありとする強い疑ひあり。口髭を除き顎髭を蓄ふ。共犯男装す。挙措体躯疑ひなく女子なり」もしクリッペンが3等客船を利用していたら、彼はおそらくケンダルに気づかれなかったであろう。デューはリバプールからより速いホワイト・スター・ライナーローレンティック(英語版)に乗り込んでカナダのケベックに先回りし、カナダ当局に連絡した。 モントローズ号がセント・ローレンス川に入ったとき、デューが水先案内人に変装して乗り込んだ。当時、カナダはイギリス領であり、もしクリッペンの居所がわかっていたとしても彼を裁判にかけるには引き渡しのための手続きが必要だったとされている。ケンダルの手配によりクリッペンらは水先案内人に扮したデューと引き合わされた。そして、デューが自ら水先案内人のキャップ帽を脱いで正体を明かした際、クリッペンは間をおいて「それが終わってほっとした。不安が大きすぎた。もう耐えられなかった。」と答え、彼は手錠をかけるために両手首を差し出した。1910年7月31日にクリッペンとルネーヴェはモントローズ号の船上で逮捕された。クリッペンはメガンティック(英語版)に乗ってイギリスに返された。
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