大西洋奴隷貿易を終わらせる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 15:04 UTC 版)
「大西洋奴隷貿易」の記事における「大西洋奴隷貿易を終わらせる」の解説
「キリスト教の奴隷制度に対する見解」も参照 18世紀にイギリス、アメリカ、その他のヨーロッパの諸地域では大西洋奴隷貿易に反対する意見が現れ始めたが、その声は少数であった。そのような少数意見を唱えたのは福音派のウィリアム・ウィルバーフォースや、クエーカー教徒のような宗教的少数派である。南北両アメリカ大陸では独立自営農民が大西洋奴隷貿易に反対した。1772年には、奴隷がブリテン諸島に入れば自由身分になることになった。19世紀になると奴隷制を廃止する運動(アボリショニズム)が盛んになった。 デンマークは奴隷貿易を禁止した最初の国である。奴隷貿易を禁止する法律は1792年に制定され、1803年に発効した。イギリスでは、ウィルバーフォースの努力が1807年2月22日に実った。大西洋奴隷貿易を廃止する法律「奴隷貿易法」(the Slave Trade Act)が庶民院で、反対16票に対し賛成283票が圧倒して成立した。アメリカ合衆国における廃止はさらに後年のことになる。イギリス海軍は大西洋奴隷貿易を終わらせるために「アフリカ封鎖」(Blockade of Africa)と呼ばれる、奴隷船の往来の妨害(blockade)を開始し、また、他国に妨害を承認させる条約を結んだ。それでもなお、プエルトリコとキューバといったスペインの植民地には奴隷の移送が続けられ、19世紀の遅くになって大西洋奴隷貿易が終わった。
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