大坂教会牧師時代とは? わかりやすく解説

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大坂教会牧師時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 17:19 UTC 版)

宮川経輝」の記事における「大坂教会牧師時代」の解説

1882年明治15年)、同志社出身牧師上原方立説得により大阪基督教会牧師になる。 同年大阪基督教青年会大阪YMCA初代会長就任1883年(明治16年)に沢山保羅から按手礼を受け正式に牧師になる。1883年東京開催され第三回全国基督教信徒大親睦会議長選出され井生村楼での演説会で「基督教教会伝道」について講演をする。 1886年明治19年)、泰西学館設立する9月には、内村鑑三教師として招聘する1888年明治21年)、大阪基督教会西村清雄教える。1895年明治28年)に経営悪化した泰西学館館長辞任する1904年明治37年)、日露戦争が始まると、調査団として朝鮮渡り在韓日本人伝道する。「大阪基督教報国知義團」を組織して団長になり、戦勝のため活動した日本メソジスト教会本多庸一ともしばしば一緒に戦地軍隊慰問した1909年明治42年)の暮れ菊池侃二大阪府知事宅に、成瀬仁蔵広岡浅子と共に招かれる。そこで、成瀬広岡議論になり、成瀬宮川教育してくれるように助け求める。後日宮川広岡宅を訪れて宗教に就いては何も知らぬあなたはこれから謙遜生徒になって宗教を学ばなければならない」と諭す。このことがきっかけで広岡聖書を学ぶようになり、1911年明治44年12月広岡キリスト教に入信し、宮川洗礼授け大阪基督教会入会する1910年明治43年)、組合教会朝鮮伝道部設けて渡瀬常吉と共に関わった。1913年大正2年)には広岡浅子招かれ静岡県御殿場での修養会講師をする。 1914年大正3年)、全国協同伝道西部部長になり伝道活動邁進する日本組合基督教会重鎮として活動し小崎弘道海老名弾正合わせて三元老と呼ばれた。 これらの活動評価され1921年大正10年)にオベリン大学より名誉神学博士号が授与された。1925年大正14年4月に健康上の理由大阪教会引退し、同教会名誉牧師になる。 宮川後任として、大阪基督教会には畠中牧師就任する1936年昭和11年2月25日大阪基督教会分身南大阪教会創立10年記念礼拝時に講壇立って感謝祈祷を行う。その時言語不明瞭になり卒倒しそうになり自宅運ばれるその後自宅臥床その後昏睡状態になる。翌月3月2日午前10時30分に、夫人子女たちと教会員見守られつつ、昏睡状態のままで死去する三女の茂代は大塚節治神学者第13代同志社総長)の妻。

※この「大坂教会牧師時代」の解説は、「宮川経輝」の解説の一部です。
「大坂教会牧師時代」を含む「宮川経輝」の記事については、「宮川経輝」の概要を参照ください。

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