大坂夏の陣以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 04:03 UTC 版)
慶長20年(1615年)4月、大坂夏の陣に際して浅野幸長の家臣・湊惣左衛門は、紀伊国和歌山藩(紀州藩)浅野幸長の間隙を突かんと謀叛(紀州一揆)を企て、六郎左衛門にも豊臣方に味方すれば所領は望み次第との朱印状を以ってその謀叛に加勢することを促すが、湊惣左衛門の平素の言動から、六郎左衛門は彼の説く意中に欺瞞を見抜いて誘いを拒絶。かえって浅野幸長に忠義することを誓う。しかして、謀叛の鎮圧に尽力し、平夷ののち浅野幸長は六郎左衛門の功を賞し采地を給した。六郎左衛門は、その人柄、温厚にして時に熱くさらに義を以って尊ぶという。のち日高郡小杭に隠居するが、人望厚く推されてまた地元の開墾に励んだ。
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