大坂城入城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:16 UTC 版)
慶長19年(1614年)、方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川氏と豊臣氏の関係が悪化する。 大名の加勢が期待できない豊臣家は浪人を集める策を採り、九度山の信繁の元にも使者を派遣して黄金200枚、銀30貫を贈った。信繁は国許(上田)にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけ、九度山を脱出して嫡男大助幸昌と共に大坂城に入った。大坂で信繁が指揮を執っていた軍は、鎧を赤で統一していたという。 「赤備え#真田の赤備え」も参照
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