大坂冬の陣での活躍
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「家譜」によれば、道家の活躍は次のようなものであった。11月26日、今福表での接戦で、敵兵8人と戦う。道家は馬を舞わし疾声し、日憲忠汝を救うと直ぐに8人に飛びかかった。7ヶ所に傷を受け、馬も3ヶ所の傷を受けたが、誤って刀を落とすと短刀で敵兵を打ち払った。 『日本錦 一名・武夫の友』の45ページ目には次のようなエピソードが記録されている。黒沢甚兵衛(道家)は佐竹義宣の新臣で、人となりは寡黙で外柔内剛であった。佐竹氏の家臣は新参者であることにより彼を侮蔑し、嘲笑罵倒する者が多かったが甚兵衛はこれを意に介さなかった。しかし、かえってこれを怯懦と見る者が多かった。大阪に到着し、11月25日に夜暗に柵を作っていると、松明に向かって敵は銃を撃ってくる。甚兵衛は一計を案じ、松明を地面に置いて離れた地点の柵を作った。これにより、一兵も減らすことなく、柵は完成した。甚兵衛が私の勇気を知りたければ明日の戦いを見よと勇気憤然として力強い言葉使いで言う様子は、普段と余りにも違うので皆を驚かせた。次の日の活躍も皆を感服させ、また義宣は甚兵衛の人を用いる力量に感心した。 大坂冬の陣の今福合戦での活躍によって、道家は徳川秀忠から感謝状と小袖2重、陣羽織1つを贈られる。陣羽織は残っていない。軍功により、道家の知行高は300石増加し、500石になった。久保田藩で給人888人のうち、500石以上の者は35人である。秋田で佐竹氏に仕官した者達の中では出世頭であった。 感謝状をもらった事実は『徳川実紀』にも「今福堤にて戦功少なからず、梅津、大塚、黒沢などいふ家子までも感謝状並びに褒賜をうぶりにける」と記録されている。
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