変化に対する意識とは? わかりやすく解説

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変化に対する意識

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:59 UTC 版)

日本語」の記事における「変化に対する意識」の解説

詳細は「日本語の乱れ」を参照 日本語が時と共に変化することは、しばしば批判対象となる。この種の批判は、『枕草子』や『徒然草』などの古典文学中にも見られるまた、歴史上言語変化について注意する記述は、仮名遣い書や、『俊頼髄脳』などの歌論書、『音曲玉淵集』などの音曲指南書をはじめ、諸種資料見られるなかでも江戸時代俳人安原貞室が、なまった言葉批正目的編んだ片言かたこと)』(1650年)は、800にわたる項目を取り上げており、当時言語実態を示す資料として価値が高い。 近代以降も、芥川龍之介が「澄江雑記」で、「とても」は従来否定伴っていたとして、「とても安い」など肯定形になることに疑問を呈するなど、言語変化についての指摘散見する研究者立場から同時代の気になる言葉収集した例としては、浅野信巷間言語省察』(1933年)などがある。 第二次世界大戦後は、1951年雑誌言語生活』(当初国立国語研究所監修)が創刊されるなど、日本語への関心高まったそのような風潮の中で、多く人々により言語変化対す批判擁護活発に交わされるようになった典型的な議論の例としては、金田一春彦日本語乱れていない」および宇野義方反論挙げられる。 「日本語の乱れ論議において、話題になりやすい言葉もある。1955年国立国語研究所有識者調査の項目には「ニッポン・ニホン(日本)」「ジッセン・ジュッセン(十銭)」「見られなかった・見れなかった」「御研究されました・御研究なりました」など、今日でもしばしば取り上げられる語形語法多く含まれている。とりわけ見られる」を「見れる」とする語法は、1979年NHK放送文化研究所現代人言語環境調査」で可否意見二分するなど、人々言語習慣違い如実に示す典型例となっている。この語法1980年代には「ら抜き言葉」と称され盛んに取り上げられるようになった。 「言葉乱れ」を指摘する声は、新聞・雑誌投書にも多い。文化庁の「国語に関する世論調査」では、「言葉遣い乱れている」と考える人1977年に7割近くになり、2002年11月から12月調査では8割となっている。

※この「変化に対する意識」の解説は、「日本語」の解説の一部です。
「変化に対する意識」を含む「日本語」の記事については、「日本語」の概要を参照ください。

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