変化と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 09:07 UTC 版)
「アレクサンドル・スクリャービン」の記事における「変化と発展」の解説
1900年頃からフリードリヒ・ニーチェの哲学に心酔し、とりわけ超人思想に共鳴する。その後は神智学にも傾倒し、この2つから音楽思想や作曲に影響を受ける。1902年に作曲に専念するとしてモスクワ音楽院を辞職するが、すでに門人タチヤナ・ド・シュリョーツェルと愛人関係を結んでいた。1904年に家庭を捨ててタチヤナとともにスイスに出奔、西欧各地を転々とする。この頃からロマン派の影響を脱し個性的かつ神秘主義的な作風へと向かう。ロシア暦(ユリウス暦)でのクリスマス生まれだったことも、スクリャービンの神秘主義や、救世主きどりに拍車をかけた。1909年から1910年までブリュッセルに住み、ジャン・デルヴィルらのベルギー象徴主義絵画や共感覚に興味を寄せつつ、ブラヴァツキー夫人の著作にいっそう親しんだ。これにより、自らの芸術を神智学思想を表現するためのものとして考えるようになり、後期の「神秘和音」を特徴とする作品を残す。それとともに前衛的作曲家として国際的に認められるようになった。
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