堰堤改良事業と福井豪雨
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「笹生川ダム」の記事における「堰堤改良事業と福井豪雨」の解説
奥越豪雨の甚大な被害もさることながら、福井県の河川事業始まって以来となるダムの異常洪水時防災操作、堤体側面からの洪水越流を受け、福井県は根本的な対策に迫られた。1972年(昭和47年)福井県は笹生川ダム堰堤改良事業に着手し、ダムの洪水調節能力向上を図った。ダム右岸の貯水池からトンネルを掘削してダム下流の真名川に洪水を放流するバイパストンネル式洪水吐を建設することで、ダムの放流能力を増強させる。トンネル入口にはゲートを2門備え、長さ約267メートルのトンネルを経てダム本体より下流に放水口を設けて放流させる構造である。また奥越豪雨ではダム下流でがけ崩れが発生して電話の不通や停電を生じたため、通信設備や観測設備の改良・補充も行った。1973年(昭和48年)6月より工事が開始され、総事業費24億円を投じて1977年10月に堰堤改良事業は完成した。バイパストンネル式洪水吐を増設するダム再開発事業は笹生川ダムのほか京都府の天ヶ瀬ダム(淀川)や愛媛県の鹿野川ダム(肱川)でも行われているが、笹生川ダムはその初期例である。 一方建設省も、奥越豪雨による九頭竜川流域の災害を契機に、九頭竜川水系の治水計画を再検討した。当時九頭竜川本流には九頭竜ダムが建設中であったが(1968年完成)、真名川の深刻な被害を機に10月には真名川筋の新たなダム地点が調査された。1966年3月に九頭竜川水系が一級河川に指定され、5月には福井県を通じて大野市若生子地点に建設省直轄の特定多目的ダムを建設することが地元に伝えられた。真名川ダムである。高さ127.5メートル、総貯水容量1億1500万立方メートルと笹生川ダムを大幅に凌駕する真名川ダムは新たな真名川総合開発事業の根幹として1977年に完成した。真名川ダム完成により笹生川ダム堰堤改良と共に真名川の治水は強化されたが、ダム建設に伴い西谷村が廃村となった。既に笹生川ダム建設により四集落が消滅し、真名川ダム建設で五集落が移転して村の存続が成り立たなくなることから、当時の西谷村長・山本満はダム規模を大きくさせて全村移転、廃村させるという苦渋の決断を下した。 2004年(平成16年)7月、九頭竜川流域を襲った平成16年7月福井豪雨では、足羽川の堤防決壊により福井市が浸水するなど大きな被害を受けた。真名川流域も足羽川流域と同程度の豪雨となったが、笹生川ダムでは計画高水流量に近い毎秒400立方メートル、真名川ダムでは奥越豪雨で笹生川ダムが記録した流量を超える毎秒1,033立方メートルの最大流入量を記録した。しかし笹生川ダムでは最大放流量毎秒87立方メートルと流入量の5分の1近くに減らし、真名川ダムでは最大放流量毎秒167立方メートルと9分の1近くにまで減らした。この結果真名川本流域では浸水被害が皆無となり、流域の治水に大きく貢献した。
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