坂本家の家系とは? わかりやすく解説

坂本家の家系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 19:06 UTC 版)

坂本龍馬の系譜」の記事における「坂本家の家系」の解説

龍馬自身は紀姓で紀貫之の子孫と称したという。墓石にも「坂本龍馬直柔」と名が彫られている。坂本家主君差し出した先祖書指出控』には、「先祖坂本太郎五郎生国山城国郡村未だ詳らかならず、仕声弓戦之難を避け長岡郡才谷来住す。但し年歴、妻之里、且つ病死年月未詳」とある。天正16年1588年)の才谷検地3番目の百姓として登録されているにすぎず、3代目太郎左衛門までは公認名字持たない百姓身分考えられる2代目彦三郎、3代目太郎左衛門まで才谷農業を営んだ。4代目守之、5代目正禎の頃に豪農としての頭角現し才谷の字の一つである「大浜」を家名として名乗り始める。 寛文6年1666年)、3代目太郎左衛門次男八兵衛高知城下にて質屋開業し屋号才谷屋)、酒屋呉服などを扱う豪商となる。享保15年1730年)ごろ本町筋の年寄役となり、藩主拝謁許されるいたった明和7年1770年)、6代目直益は郷士を買い、長男直海郷士坂本家初代とし分家させ、名字帯刀、すなわち公認名字名乗り身分表象として刀を2本差せる身分にたどりついた。次男・直清に商家才谷屋を継がせている。郷士坂本家3代目・直足は白札郷士上士)・山本信固(覚右衛門)の次男として生まれ坂本家養子として入った。直足の次男直柔坂本龍馬)である。妻はお龍楢崎龍)、また、千葉さな子婚約者だったと言われる龍馬には子がいなかったため、甥(姉・千鶴長男)の直が家督継いだ郷士坂本家5代目当主の直寛(姉・千鶴次男龍馬の甥)のときの明治30年1897年)に一族挙げて北海道に移住した(土佐訣別)ため、現在は高知には郷士坂本家人々はいない。直寛は、武市半平太の後に武市家継承した武市安哉とともにキリスト教精神に基づく活動自由民権運動行っており、この考えによる理想まちづくり夢見て新天地である北海道に移住した。北海道開拓生前龍馬の夢でもあった。 詳細は「自由民権運動」を参照 小説では、坂本家明智光秀娘婿明智秀満末裔 とし、坂本姓の由来明智家所領であった坂本(現・滋賀県大津市坂本)に由来するとの話もあるが、坂本地名全国多数ある。このようなことからも、後世の創作だろうとする声も強い。 坂本家家紋は「組み合わせ桔梗」。 2010年1月15日横須賀市信楽寺にて、龍馬死後143年ぶりにお龍との合同慰霊祭催された。

※この「坂本家の家系」の解説は、「坂本龍馬の系譜」の解説の一部です。
「坂本家の家系」を含む「坂本龍馬の系譜」の記事については、「坂本龍馬の系譜」の概要を参照ください。

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