坂本弁護士一家殺害事件における役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 17:05 UTC 版)
「岡崎一明」の記事における「坂本弁護士一家殺害事件における役割」の解説
「魂の救済だという理由があれば殺人も善行と変わるのです。考えられないことかもしれませんが私達はそれを真剣に信じ切っていた」 男性信者殺害事件に関わった大内利裕以外のメンバーは、続いて坂本弁護士一家殺害事件の実行役となった。 1989年11月3日の朝、麻原に命令されて他の5人の実行犯と共に坂本の住んでいた横浜市磯子区洋光台のアパートへ向かう。それぞれ役割分担をして出勤する坂本を待ち伏せていたが、当日が祝日であることを中川智正が指摘するまで失念しており、坂本は家から出てこなかった。そこで、岡﨑が麻原の命令無しにアパートのドアノブを回してみると、鍵がかかっておらず、中に人がいるのが確認できた。 早川を通して麻原に報告すると、「深夜に家族しかいなかったら家族ごとポアしろ」と命令される。岡﨑がもう一度調べて施錠されていなかったことから、11月4日午前3時頃に、坂本一家殺害を遂行。 その後、一家の遺体をそれぞれ別の場所に遺棄した。岡﨑は坂本堤の遺体の顔にツルハシを振り落とそうとしたが、ずれて失敗した。 坂本堤の義父・大山友之は、「岡﨑がいたから事件が解決したのではなく、岡﨑がいたから事件が起きた」と語っている。1995年4月7日に岡崎が坂本弁護士事件を自供した後も、神奈川県警が自首調書を作成するまでに岡崎の中国への渡航を容認した件について、「岡崎の自供は地下鉄サリン事件の1ヶ月後で、自供後も岡崎を逮捕せず、中国へ行くことも許可している。」として、神奈川県警は杜撰だと批判している。
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