在来線上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:16 UTC 版)
1983年12月31日 マルセイユからパリに向かっていたTGV車内で、テロリストのカルロス・ザ・ジャッカルがしかけた爆弾の爆発によって2人が死亡した。 1988年9月28日 グルノーブルからパリに向かっていたTGV736列車(Sud-Est第70編成"Melun")が105km/hで走行中、ローヌ=アルプ地域圏・イゼール県ヴォアロン(Voiron)の踏切で100tの変圧器を積載していた運搬トラックと衝突した。本来、重量が大きい運搬トラックは踏切内進入禁止であった。その重量から激しい衝突を起こし、脱線はしなかったが運転士と乗客計2名が死亡し、25名が軽傷を負った。列車には300名が乗車していた。 1991年1月4日:ブレーキ系統の故障後、Atlantique第360編成がパリ南郊のシャティヨン車両基地(現・アトランティック車両基地)から逸走し、パリ・ヴォージラール駅の側線に導かれ車止めに60km/hで衝突した。負傷者はいなかったが、動力車と2両の客車は激しく損傷し後に再造されている。 1997年9月25日 パリからダンケルクへ向かっていたTGV7119列車(Réseau第502編成)が130km/hで走行中、ダンケルク近くの踏切で70tのアスファルト舗装機材と衝突した。動力車は回転し、築堤下に落下。次位の客車2両も軌道から外れ、軌道脇の林で止まった。7名が負傷した。 2001年10月31日 パリからスペイン・バスク州のフランス国境に位置するイルンに向かっていたTGV8515列車が130km/hで走行中、フランス南西部アキテーヌ地域圏のダクス付近で10両の客車が脱線し、後部動力車が転覆した。原因は保線の不備であった。 2003年1月30日 ダンケルクからパリに向かって106km/hで走行中のTGVがフランス北部・ノール=パ・ド・カレー地域圏のエスケルベク(Esquelbecq)に所在する踏切で大型貨物車と衝突した。前方の動力車は激しい衝撃を受けたが、1台車が脱線しただけで運転士も軽傷で済んだ。 2007年12月19日 パリ発ジュネーヴ行のTGVが100km/hで走行中、フランス東部、スイス国境に近接するローヌ=アルプ地域圏トシア(Tossiat)近郊の踏切で大型トラックと衝突。トラックの運転手が死亡し、TGVの乗客35名も負傷した。 多くの事故後、TGVが走行する在来線は踏切の撤去が進んでおり、LGV大西洋線の終端トゥール - ボルドー間の在来線においては全ての踏切が撤去されている。
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