国民革命軍での再起、憲兵練成、甘粛統治とは? わかりやすく解説

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国民革命軍での再起、憲兵練成、甘粛統治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 08:27 UTC 版)

谷正倫」の記事における「国民革命軍での再起、憲兵練成、甘粛統治」の解説

湖南省では、陸軍士官学校時代同級生だった賀耀組引き立てを受け、1925年民国14年7月に、湖南陸軍第1師顧問軍官講習所所長に任ぜられた。1926年民国15年9月、賀が国民革命軍易幟し、独立第2師師長となると、谷は同師副師長兼第1旅旅長となる。そして賀に随従して江西省九江攻略、さらに翌年3月南京攻略貢献した4月独立第2師が第40軍拡充されると、谷は南京戒厳司令代理昇格した。このとき、蒋介石知遇受けている。 1928年民国17年2月谷正倫南京衛戍副司となった同年5月済南事件勃発し日本側から責任者指弾され南京衛戍司令賀耀組罷免追い込まれてしまう。これにより、谷が後任司令昇進し首都警備の任を委ねられることになった以後、谷は憲兵部隊練成組織尽力することになる。 まず谷正倫蘇州憲兵軍官講習所憲兵教練所を設立し1932年民国21年1月軍政部に属する形で憲兵司令部創設される司令就任した1934年民国23年)には憲兵学校創設し蒋介石校長、谷が教育長となり、谷が実際の運営担った日中戦争抗日戦争勃発後の1937年民国26年9月、谷は軍事委員軍法執行副監を兼任するまた、首都内陸部移転に伴い、湘鄂川黔辺区綏靖公署主任兼ねている1940年民国29年12月まで谷は憲兵司令務めていたが、それまで憲兵30個団に拡充された。 この月に、谷正倫中国共産党陝甘寧辺区封鎖の任を蒋介石から委ねられ甘粛省政府主席任命される以後1946年民国35年10月まで同省政府主席務め1942年民国31年10月には甘新公路督弁も兼任している。この間に谷は、「新県制」を実行するなどして国民政府中央の統制甘粛省もたらす一方で現地回族への福祉充実努めて民族間の対立緩和図り、さらに水利建設農・林・牧業振興土木事業展開でも顕著な成果をあげた。甘粛省省会蘭州へは、アメリカ副大統領ヘンリー・A・ウォレス参観のため訪れており、谷の良好な治績絶賛している。

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