国民性、民族性、人種
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 16:51 UTC 版)
「エクアドル人」の記事における「国民性、民族性、人種」の解説
エクアドルには5つの主要な民族グループがある。メスティーソ、白人、アフリカ系エクアドル人、アメリカ先住民、モントゥーノなどである。メスティーソがエクアドル全人口の70%を占める。 Ethnic composition of EcuadorMestizoWhiteAmerindianMontubioAfroecuadorianother71.9% 6.1% 7.0% 7.4% 7.2% 0.4% エクアドル人はスペインからの移民、南アメリカのインディアン、16世紀に海岸沿いのプランテーションでの労働目的でやってきた混血の黒人奴隷の子孫であり、これらのグループ同士が結婚してメスティーソやチョロという民族が生まれた。 国勢調査にはどうやって現在のエクアドルにいる民族が出来たのかという記録は残っておらず、いろいろな情報が錯綜しているので、それぞれの民族グループが何人いるかという情報はおおよその値になっているが、1980年代はインディアンとメスティーソがエクアドルの人口の多くを占めそれぞれ全人口の約40%を占めていた。白人は10~15%いて、黒人は5%という数字になっている。 1989年に書かれたKluckの情報によるとエクアドルの民族グループには以前から白人、メスティーソ、黒人や他の民族との間に階層制度があり、Kluckはこの階層制度は植民地主義と植民地支配国による法の支配だとみている。スペイン生まれの人はNew Worldといわれるところに住み、階層のトップに位置していた。それに続く地位として植民地でスペイン人の両親から生まれたクリオーリョがいた。19世紀、メスティーソという人種はインディアンと白人の両親から生まれた人を指し、チョロはインディアンとメスティーソの両親から生まれた人を指したが、20世紀までメスティーソとチョロはよく同じような意味で用いられた。Kluck社会における関係、職業、慣習、服装などは全て民族の歴史から由来しているとみており、Kluckは「もし嫁ぎ先のグループの慣習に合わせる必要が出てきたら彼らの慣習に合わせることになるだろう、そうなった時は言い逃れできないだろう」と述べている。 民族グループの特徴は民族によってかなり違い、民族の特徴を説明する際、地位の相当高いメスティーソと白人が使う言葉によっていろいろな社会的、生物学的特徴が組み合わされるので、民族の特徴は絶えず変化している。インディアンの人たちはよくメスティーソに民族を変更する。そして、その地位の高いメスティーソは白人に迫る勢いでさらに地位を上げていく。民族の個性によって彼らの特徴がたくさん見えてくる、例えば、身体の特徴、衣装、言葉、コミュニティー、自己表現などである。 1950年代に大移動があったが、それまでは民族の地理的分布は分かりやすいものであり、白人は主に大都市に住んでいた。メスティーソは小さな町にいて地方の至る所に住んでいた。メスティーソもいたが、インディアンの多くはSierra地区の田舎に住んでいた。多くの黒人はEsmeraldas地区に住んでいた。そことはやや離れたCarchi地区、Imbabura地区にも住んでいた。Sierra地区の資源を獲得しようという圧力とハシエンダという大規模農場が消滅するということがあったが、多くのインディアンが沿岸地域、エクアドル東部や市部にやってきた。 1980年代までにSierra地区のインディアンまたはメスティーソから民族を変更したインディアンは、Quito、Guayaquilの沿岸部やエクアドル東部や沿岸部の植民地でプランテーションをして生活をした。 1980年代後半、アナリストはCayapa族とColorado族は約4000人しかいなかったとみている。 エクアドルとコロンビアの国境のある地区から少し離れたEsmeraldas市へ移動した黒人もいる。
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