嘉靖年代の議論と経過とは? わかりやすく解説

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嘉靖年代の議論と経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:49 UTC 版)

琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事における「嘉靖年代の議論と経過」の解説

1487年マラッカ王国赴いた冊封使海難事故遭い正副使ともに死亡した。この事件以後、明の官僚たち冊封使として渡海することを忌諱するようになった1487年以降最初に冊封対象となったのは、1527年に約50年王位にあった後に亡くなった尚真の跡を継いだ尚清であった1527年秋、尚清は早速明に請封使を送った。この時、明側は調査をして回答するとの返答をしたが、肝心使節明からの帰途海難事故遭って死亡したために返事琉球側に届かなかった。そこで1530年琉球側は改め明に請封を行ったが、明は福建地方官実態調査命じとともに尚清簒奪疑いありとして、新国王である尚清出自地位が確かであることを示す、「国中臣民結状」つまり琉球の民の信任状提出するように求めた。もともと明は冊封時に新王の正統性問題にしたことは無く実際問題として正統性確かめるのは困難であり、万一簒奪事実判明したとしても明が王位継承自体覆すことは不可能に近い。従ってこれは尚清冊封引き延ばした理由が明側にあった考えられている。 明が尚清冊封引き延ばしたかった理由のひとつは、前述のようにマラッカ赴いた冊封使海難事故遭い正副使ともに死亡した事故以降海を渡る冊封使危険性について明の官僚たち強く意識するようになったことが挙げられる。また当時倭寇活動活発化しており、琉球への海路は一層の困難が予想された。このような中で、琉球国王冊封中国国内使者国王封じる詔書手渡す領封で済まそうとの議論発生したもう一つ琉球への頒封が困難であった嘉靖年間初頭特有の事情があった。嘉靖帝皇位を継ぐ男子がいなかった正徳帝のいとこであった帝位継いだ後、嘉靖帝実父皇帝扱いしたいと願い、それに反対する廷臣たちを大弾圧した大礼の議起きていた。その結果として高級官僚大幅な欠員生じ琉球冊封使を送る余裕無かったのである。 この時の冊封は、結局、「国中臣民結状」を持参した1532年の請封を受けて1534年琉球冊封使出向いた上で実施された。1532年には中国近海情勢落ち着いてきており、また大礼の儀後の高級官僚不足も解消向かっていた。なお「国中臣民結状」は尚清次の尚元の請封時には提出されなかったが、次々代の尚永以降継続して提出されるうになる1557年尚清の跡を継いだ尚元が請封を行った嘉靖帝これまで通り琉球冊封儀式を行う頒封を行うことを決定した。しかし冊封使福州琉球渡航待っていた1560年琉球からの通例進貢使が、福州冊封を行う領封を要請したのであるこれまで琉球側から領封の要請はなく、その後明清交代期琉球側が頒封に消極的になったことがある以外、このような事態起きなかった。琉球側の言い分としては、琉球渡航悪天候の危険が伴い、しかも倭寇猖獗極めているため、明の使者にとって危険が多い領封ではなく、領封を行ってはどうかというものであった実際この頃倭寇活発化しており明はその対応に苦慮していた。 倭寇対策頭を痛め嘉靖帝は、臣下対応策下問している。その中で琉球通して日本側に倭寇禁圧求める案が浮上した前述のように明はこれまで琉球日本との交渉窓口にしようとしたことがあり、実際寧波の乱後の琉球仲介成功していた。そこで嘉靖帝日本倭寇禁圧求める明の意向琉球通じて伝えるという密命を、冊封使に託そうともくろんだ。この話を察知した琉球側が、密命を受けることを忌避するためにあえて領封を望んだのではとの推察がある。この時も明側はこれまで通り頒封とすべきか、領封に変えるべきか論争起きたが、結局従来通りの頒封と決し1561年冊封使が渡琉した上で尚元冊封儀礼行った

※この「嘉靖年代の議論と経過」の解説は、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の解説の一部です。
「嘉靖年代の議論と経過」を含む「琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事については、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の概要を参照ください。

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