嘉靖本の登場
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現存する『演義』最古の刊本は、嘉靖元年(1522年)に木版印刷された『三国志通俗演義』である。これを嘉靖本と呼ぶ(後述の葉逢春本等も嘉靖年間の刊行であるため、区別して張尚徳本と呼ばれることもある)。全24巻240則から成る。 巻頭には「晋平陽侯陳寿史伝/後学羅本貫中編次」と題されている。首巻に弘治甲寅(1494年)の庸愚子(蒋大器)による序文「三国志通俗演義序」、嘉靖壬午(1522年)の修髯子(張尚徳)による「三国志通俗演義引」「三国志宗寮(人名目録)」をそれぞれ載せる。庸愚子の序文には『演義』形成の過程が記される。それによれば『三国志』など正史の類は難解であるため、庶民の間で野史(でたらめな史伝)が広まり、『平話』のような作品が作られたが、言葉は卑しく誤りが多い。そこで羅貫中が各種史書を慎重に取捨選択してまとめ『三国志通俗演義』と名付けた、とある。また「好事者そろいて相写す」とあることから、出版印刷文化が花咲く嘉靖年間以前は、専ら書写によって鈔本が作られていたと推測される。これを原「三国演義」と呼ぶ。この原「三国演義」の一つとして想定される有力な候補が弘治7年(1494年)の序を持つと思われる弘治本である。
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