和田・紳助時代とは? わかりやすく解説

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和田・紳助時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 15:26 UTC 版)

歌のトップテン」の記事における「和田・紳助時代」の解説

1987年4月6日 - 2代目司会者として和田アキ子島田紳助登場1987年5月11日 - 最高視聴率の23.0%(ビデオリサーチ調べ関東地区)を記録。この週の1位は松田聖子の「Strawberry Time」。 1988年3月28日 - 渋谷公会堂での生中継中に統合失調症の男が乱入、この日第6位の『AL-MAUJ』の歌唱中だった中森明菜ノート投げつけて警備員取り押さえられるという騒動があった。この模様一瞬ではあったがテレビで放送され会場騒然とした中森ステージにいたミュージシャン達に危害無かったが、これを機に日テレGスタジオからの非公開生放送割合増えた1988年9月19日 - 本放送をもって渋谷公会堂からの放送終了それに伴い9月12日同日放送分を「さよなら渋谷公会堂」と題してNTV紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』のセット再現した企画実施した後、非公開に完全移行した1988年10月3日 - この日の2時間スペシャルより麹町日本テレビ本社当時Gスタジオからの非公開放送に完全移行1989年10月9日 - 『トップテンシリーズ』が『NTV紅白歌のベストテン開始から20周年迎え、この日は『秋の特別企画輝け!!紅白対抗トップテン』と題して2時間スペシャル放送番組エンディングでは9月『ザ・ベストテン』放送終了した際、この番組にも「やめないで」という声が相次いだことを受けて司会和田が「唯一のランキング番組として頑張ります」と宣言したまた、ベストテン』の終了発表時にレギュラー放送紳助とこのことについて触れた上で「この番組続けて参ります」と宣言している。しかし、結局その半年後に終了することとなった1989年10月16日 - この回より渋谷公会堂時代修学旅行招待代わる形で学生10グループスタジオに招く「WADA組」という制度開始1989年12月25日 - 毎年末に発表していた年間ランキング発表されず、「今夜ハチャメチャXmas!」と題した2時間スペシャル放送された。ランキング週間のみ本編終了後リクエスト募集前に「もうすぐトップテン」「アルバムトップテン」の要領発表した1990年1月22日 - 小泉今日子「学園天国」が1位を獲得小泉欠席だったためオリジナル歌手フィンガー5出演して歌った1990年3月19日 - レギュラー放送最終回迎えた最終回の1位は光GENJIの「荒野のメガロポリス」。最終回視聴率は12.2%。 1990年3月26日 - 「今夜最後!すべて見せます 紅白歌のベストテンから歌のトップテンさようなら、ありがとう〜」のタイトルで2時間拡大した総集編放送歴代の司会者登場歌手が昔の映像見返すラスト歴代司会者番組出演者勢揃いしたところで、『哀しみソレアード』(『カックラキン大放送!!EDテーマとして知られる)をBGMに、徳光ナレーション締めた視聴率は15.7%。こうして、この番組最後にNTV紅白歌のベストテン以来20年続いたトップテンシリーズ』は幕を下ろした

※この「和田・紳助時代」の解説は、「歌のトップテン」の解説の一部です。
「和田・紳助時代」を含む「歌のトップテン」の記事については、「歌のトップテン」の概要を参照ください。

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