和田・紳助時代
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1987年4月6日 - 2代目司会者として和田アキ子と島田紳助が登場。 1987年5月11日 - 最高視聴率の23.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。この週の1位は松田聖子の「Strawberry Time」。 1988年3月28日 - 渋谷公会堂での生中継中に統合失調症の男が乱入、この日第6位の『AL-MAUJ』の歌唱中だった中森明菜にノートを投げつけて警備員に取り押さえられるという騒動があった。この模様は一瞬ではあったがテレビでも放送され、会場は騒然とした。中森やステージにいたミュージシャン達に危害は無かったが、これを機に日テレGスタジオからの非公開生放送の割合が増えた。 1988年9月19日 - 本放送をもって渋谷公会堂からの放送を終了。それに伴い、9月12日と同日放送分を「さよなら渋谷公会堂」と題して『NTV紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』のセットを再現した企画を実施した後、非公開に完全移行した。 1988年10月3日 - この日の2時間スペシャルより麹町・日本テレビ本社(当時)Gスタジオからの非公開放送に完全移行。 1989年10月9日 - 『トップテンシリーズ』が『NTV紅白歌のベストテン』開始から20周年を迎え、この日は『秋の特別企画・輝け!!紅白対抗トップテン』と題して2時間スペシャルを放送。番組のエンディングでは9月に『ザ・ベストテン』が放送終了した際、この番組にも「やめないで」という声が相次いだことを受けて、司会の和田が「唯一のランキング番組として頑張ります」と宣言した。また、『ベストテン』の終了発表時にもレギュラー放送で紳助とこのことについて触れた上で「この番組は続けて参ります」と宣言している。しかし、結局その半年後に終了することとなった。 1989年10月16日 - この回より渋谷公会堂時代の修学旅行生招待に代わる形で学生10人グループをスタジオに招く「WADA組」という制度が開始。 1989年12月25日 - 毎年末に発表していた年間ランキングが発表されず、「今夜はハチャメチャXmas!」と題した2時間スペシャルが放送された。ランキングは週間のみ本編終了後、リクエスト募集の前に「もうすぐトップテン」「アルバムトップテン」の要領で発表した。 1990年1月22日 - 小泉今日子の「学園天国」が1位を獲得。小泉は欠席だったためオリジナル歌手のフィンガー5が出演して歌った。 1990年3月19日 - レギュラー放送の最終回を迎えた。最終回の1位は光GENJIの「荒野のメガロポリス」。最終回視聴率は12.2%。 1990年3月26日 - 「今夜で最後!すべて見せます 紅白歌のベストテンから歌のトップテン〜さようなら、ありがとう〜」のタイトルで2時間に拡大した総集編を放送。歴代の司会者・登場歌手が昔の映像を見返す。ラストは歴代司会者と番組出演者が勢揃いしたところで、『哀しみのソレアード』(『カックラキン大放送!!』EDテーマとして知られる)をBGMに、徳光のナレーションで締めた。視聴率は15.7%。こうして、この番組を最後に『NTV紅白歌のベストテン』以来20年半続いた『トップテンシリーズ』は幕を下ろした。
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