呉服町・元町の起源とは? わかりやすく解説

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呉服町・元町の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 06:28 UTC 版)

呉服元町」の記事における「呉服町・元町の起源」の解説

佐賀城下では江戸時代初期、旧村中城(龍造寺城)の周囲佐賀城築かれ、その北方城下町造られた。 『鍋島勝茂公譜考補』によると、佐賀城1602年慶長7年)に一部建設始まり1608年慶長13年)に総普請1609年慶長14年)に天守閣竣工し完成藩主鍋島勝茂本丸に移る。城下町は、1591年天正19年)に城の北西位置する佐賀郡蛎久(かきひさ)(現・佐賀市鍋島町蛎久)から町が移され町人移住したのが起源である。当初六座町伊勢屋町中町白山町の4町で、次第拡大していった。本格的町割りは、1608年の総普請家中屋敷町小路建設された際に行われた考えられるその後1789年寛政元年)や1803年享和3年)の資料では城下町33か町と記されており、呉服町元町なども列記されている。 呉服元町で現在も営業続ける中で最も創業が古い店として、安永年間1772年 - 1781年創業と伝わる店がある。江戸期資料を見ると、寛政元年1789年幕府巡見報告には、呉服元町前身諸町として、蓮池町、上芦町高木町呉服町元町東魚町の6か町が記されている。 なお、呉服町および元町は、佐賀城下を通る長崎街道面していた。城下東口の構口から入った場合牛島町柳町蓮池町の次が呉服町で、ここまで道は真っ直ぐになっている。呉服町沿いの街道を北に曲がると元町で、その先を曲がると白山町米屋町中町いずれも白山2丁目)で、その西にも城下町が続く。 また、隣接する旧・高木町(現呉服元町)の願正寺佐賀藩内の浄土真宗寺院触頭(藩内の総本山)と定められ明治 - 昭和期の民謡蓮池節』に「願正寺参り」と唄われたように多く参詣者を集めた。その中には呉服買い求め立ち寄る人々がおり、呉服町形成影響した。 町別身分構成 - 嘉永7年1854年佐賀城下町竃帳町名侍手明鎚家来従士中小姓足軽職人被官仲間その他有姓者社人僧(山伏座頭町人呉服町0 0 2 4 2 25 1 11 1 2 0 1 0 29 78元町0 0 3 6 1 15 1 6 0 1 0 0 0 15 48東魚町0 0 2 1 3 7 0 10 1 0 0 0 0 14 38高木町(北)1 0 1 1 0 14 1 16 0 1 0 0 0 39 74高木町(南)0 1 3 2 1 23 0 16 0 2 0 1 0 44 93芦町0 0 1 0 0 17 1 10 1 2 0 1 1 41 75蓮池町2 1 3 5 1 15 0 2 0 4 0 0 0 12 45城下11 42 83 134 44 795 52 372 19 116 5 17 7 1293 2990

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