古代宗教と社会の規範
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 17:23 UTC 版)
古代に存在した母権制的な宗教においては、男性がみずから去勢し、女装して女神に仕える神官となることがあった。小アジアのフリギアの大女神キュベレーの帰依者(複数形で、galli と呼ぶ)は神官ではなく、みずから去勢している場合も去勢していない場合もあったが、女装して女神に仕えた。ディオニューソスは、葡萄酒の神として知られるが、ギリシア人以前にクレータで崇拝されていた神で、その祝祭においては社会的規範の反転が起こり、少年や男性は女装して、どんちゃん騒ぎで神を祝った。 ユングは、神話学者・ケレーニイとの共著『神話学入門』のなかで、童子神(永遠の少年の原型)について論じ、童子神は神話的な両性具有を有し、古代に造られた彫像・テラコッタ像などで、女装したエロース神の像が存在することを指摘している。 「両性具有」を人間の完全性の象徴とする思想が古代において、そして現代においても存在する。男性であり、同時に女性の本質も備えることは人間において完全性への道であるとの思想がある。古代ローマ帝国の幾人かの皇帝は、両性性、神としての完全性を具現することを示すために、女装したことが知られる(カリグラは神を名乗りユピテルの他ウェヌス女神の扮装をした。ヘリオガバルス帝は両性具有の神と称し、当然女装した)。また近代インドの宗教家であるラーマクリシュナも若き修業時代、女装してマー(大母神)に帰依したことが知られる。 特定の目的を持った女装を高く評価する文化基準と、他方、女装一般を社会的な規範に対する挑戦・風紀の紊乱行為であるとして弾劾する宗教的・文化的伝統が併存してある。ユダヤ人の宗教は、『申命記』における異性装の禁忌を述べたように、男装・女装双方を弾劾し否定する。これに続くアブラハムの宗教も、男女の服装の区別を明確にする宗教的規範を持っている。 男装は父権制への挑戦であり、女装は、父権制社会における逸脱行為に当たるからである。西洋におけるキリスト教などの規範とは別に、東アジアの中国においても、社会は伝統的に父権的な様相にあり、古代の賢者・聖人とされる孔子は、男女の区別を明確に説いた。
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