古代太陽暦の暦法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 06:27 UTC 版)
古代エジプトの暦では、古くは、1か月を30日(1週間は10日。1か月は3週間)、1年を12か月(1年を12か月に分ける方法は、月の満ち欠けの周期(1か月)を12.37回繰り返すと1年経つことに由来する)、1年を360日、とする変則的な太陰暦であることから、古代エジプトでも記録に残る以前の時代には、他の地域(文明)と同じく、太陰暦を使っていたと考えられている。 古代エジプトでは紀元前5600年頃に農業が始まり、紀元前3500年頃には灌漑が始まったと考えられている。古代エジプトの農業は、主にナイル川に依存していたため、その氾濫の時期を正確に知る必要があった。 紀元前4000年頃には、エジプト人は、恒星シリウスの観測から、また、ナイル川の毎年の増水開始の時期に注目して次の年の増水開始までの日数を数え上げ、1年が約365日であることを、既に知っていたと考えられており、これがエジプトにおける太陽暦の始まりとされる。しかし厳密には太陽ではなくシリウス(ソティス)や洪水の周期に基づくものなので、これを「ソティス暦」(シリウス・ナイル暦)という。ソティス暦は紀元前4241年、または、紀元前2781年に始まったとする説がある。 紀元前3000~2000年頃になると、伝統的な「30日×12か月=360日」に、1年のどの月(暦日)とも関係のない「5日」(360日の70分の1の端数切り捨て)を加えた「365日」からなる、国定の民間暦(民衆暦、シビル暦)が創出された。これは神話ではラーとトート(ヘジュウル)神から与えられたものとして、神聖視され、代々の国王は即位時にこれを遵守することを神々に誓った。 古代エジプトの民間暦では、1年を「アケト」(洪水期、1~4月)「ペレト」(播種期、5~8月)「シェムウ」(乾季・収穫期、9~12月)の3季に分け、1季は4か月であった。1年の始まりである「アケト」の第1月は「ヘジュウル月」と称され、新年(古代エジプトの新年は、現在の真夏の7~8月頃にあたる)の祝いとして、時の主人であるトート神の祭儀が行われた。 だが、単純な1年=365日暦であったために、次第に季節と日付のズレが生じてきた。そこで神官は、1年を365.25日とし、4年に1度の閏年に1日の閏日を加えた神官用の官暦を用いて年中行事を行っていた。しかし、民間暦の改訂については神への冒涜であるとして否定的な考えをとり続けた。 紀元前238年に、プトレマイオス3世のカノプス勅令によって官暦への統合(民間暦への閏日の導入)が試みられた。しかしこれは成功しなかった。閏日の導入に成功するのはローマによる支配後のアウグストゥスの頃である。 ペルシアでは、エジプトの民間暦に年始を90日遅らせたものを用いていた。セルジューク朝時代にウマル・ハイヤームらによって、ユリウス暦の要素をとり入れたジャラリー暦を導入した。現在のヒジュラ太陽暦はその後継であり、春分を年首、1-6月を31日、7-11月を30日、12月を平年29日・閏年30日としている。これは黄道十二宮とのズレをなくすための配列である。
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