受注企業の様相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:05 UTC 版)
「福島第一原子力発電所3号機の建設」の記事における「受注企業の様相」の解説
3号機の主契約者が東芝に内定した後も、東京電力は2号機の際と同様に、東芝、日立が共同して国産炉の受注体制を敷くように働きかけ、具体的なモデルとして、核燃料の分野において、GEの肝煎りでJNF社が合弁で設立された例を引き合いに出し、原子力機器分野限定で、同様の体制を提案していた。同社としてはメーカーが共同戦線を張ることで過当競争を防止し、技術向上に繋がることを意図したが、受注で一歩出遅れた日立は積極的な関心を示したものの、東芝は逆に受注で有利な体制を取っていた為、同社の金岩芳郎原子力本部長は「必ずしもGE系が一本にならなければメリットがないとは考えていない。必要なことはユーザーに対する責任体制の問題だと思う」とコメントしていた。 しかしながら、1969年9月の発注内示の前に、再び日立にも一部発注し、二本立てで国産技術を育成することが望ましいとして、同社にも一部を分担製作する方針に転換した。正式発注は10月3日に見積依頼という形で行われたが、格納容器、廃棄物処理設備などが日立に協力を仰ぐこととなった。また、正式発注以降、国産化率は90%とリリースされるようになったが、GEに発注するのは制御棒、再循環ポンプなどである。『日刊工業新聞』(1969年10月8日)によると製作シェアは東芝80%、日立10%、GE10%で、建設費は総額530億円と2号機より20億円値上がりした。理由は資材費、人件費の高騰だった。 3号機の内、圧力容器、格納容器は石川島播磨が東芝より受注し製造を担当するが、1969年8月の組織再編で石川島播磨の原子力部は東芝内に原子力容器部、動力開発部を新設する形で吸収された。 3号機の主幹企業は東芝となったが、それまでの習慣から東京電力の松永長男は契約書を双務契約的な内容に仕上げた。この時の雰囲気はGE相手の交渉と違って緊張感は無く、契約書を提示してしばらく後に東芝より礼の返事が来てあっさり成立したという。 なお、3号機における主な輸入品の一つは上記のように再循環ポンプで東芝は供給者としての立場だった。理由は、国内メーカーの経験不足が輸入継続とされたためである。再循環ポンプ用M-Gセットも同様に輸入であった。原子炉補助系では高圧注水系(HPCI)、原子炉隔離時冷却系(RCIC)用のタービンは冷態からの急速起動を要求されるため、条件によっては湿分が多い中での運転を強いられるため特殊な衝動タービンを採用しており、輸入品とされた。 本機の復水脱塩装置及び廃棄物処理系脱塩装置は荏原製作所が製作したが、同装置に使用されるイオン交換樹脂もそれまでのダウエツクス樹脂(日本国外製)から三菱化成製のダイヤイオンに変更された。従来品は強度が弱く粒度が不揃いで原子力用の特性にはマッチしない面があったことも国産品への切り替えを促したとされている。
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