反ユダヤ主義のなかのモレク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 23:14 UTC 版)
「モレク」の記事における「反ユダヤ主義のなかのモレク」の解説
「反ユダヤ主義」および「血の中傷」を参照 モレク信仰は、ヨーロッパの反ユダヤ主義の歴史においても度々言及されてきた。ユダヤ人は子供を人身供犠にするため殺害するという血の中傷が度々言及されてきた。 1884年には、革命家ブランキの右腕でパリ・コミューン政府のコミューン評議会議員をつとめた革命的社会主義者のギュスタヴ・トリドン が『ユダヤのモロク主義』を出版した。トリドンは同書で、劣等人種セム族は文明の闇、地球の悪であり、ペストをもたらすとして、セム族との戦争は貴種アーリア人の使命であるとした。古代パレスチナのモロク神信仰での人身御供を批判した。 1939年、フロイトは亡命先のロンドンで発表した『モーセと一神教』で反ユダヤ主義の解明を目指した。この本でフロイトは、キリスト教徒は不完全な洗礼を受けたのであり、キリスト教の内側には多神教を信じた先祖と変わらないものがあるし、キリスト教への憎悪がユダヤ教への憎悪へと移し向けたとした。また、キリスト教徒は神殺しを告白したためその罪が清められているが、ユダヤ教はモーセ殺しを認めないためにその償いをさせられた、と論じた。パウロはユダヤ民族の罪意識を原罪と呼んだが、キリスト教での原罪とは後に神格化される原父の殺害であり、ユダヤ教においてもモーセ殺害という罪意識があるとフロイトはいう。 フロイトのモーセ殺害説は、モーセ一行がシティムでバール神崇拝に堕して、それに反対したモーセが殺害され、その後儀礼に対する道徳の優位を主張するモーセ一神教が誕生したというE・ゼリンの『モーセとイスラエル』での説を取り入れたものであった。ゼリンは第二イザヤ書第53章の僕(しもべ)がモーセであり、モーセの殉教がメシア思想を生んだとした。ゼリンの説は論駁され、ゼリンは自説を撤回したが、フロイトはこの説を支持し続けた。 フロイトによれば、キリスト教には「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう」という、神の肉と血を拝受する聖餐式の儀礼があるが、ここには父=神を殺害して食べるというトーテム饗宴、カニバリズムの記憶があるとする。他方、ユダヤ教は中世からキリスト教徒によって儀式殺人やモロッホ崇拝、モレク崇拝などの嫌疑で攻撃されてきた。フロイトはこうしたキリスト教徒による反ユダヤ主義の嫌疑は、聖餐式を教義によって昇華させたキリスト教がユダヤ教から犠牲の観念を引き継ぎながら、ユダヤ教の儀礼の起源に対して嫌悪を憤激をもよおしていることが深層にあるとした。
※この「反ユダヤ主義のなかのモレク」の解説は、「モレク」の解説の一部です。
「反ユダヤ主義のなかのモレク」を含む「モレク」の記事については、「モレク」の概要を参照ください。
- 反ユダヤ主義のなかのモレクのページへのリンク