反ユダヤ主義とシオニズム
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「世紀末ウィーン」の記事における「反ユダヤ主義とシオニズム」の解説
1922年、フーゴ・ベタウアー(ドイツ語版)(1872年 - 1925年)の手になる『ユダヤ人のいない街』という奇抜な小説が、ウィーンでベストセラーになった。作品のなかで保守的なオーストリア首相が、ユダヤ人が新聞・銀行・劇場を経営し、カフェやレストラン、夜の盛り場といったところで遊びまわり、暮らしも贅沢であるという現実を憂い、国内から全ユダヤ人の追放を命令する法案を議会に提出する。キリスト教民主党の院内総務や聖職者たちは歓呼して首相を迎え、汎ドイツ主義の代理人は民族浄化の一歩としてこれを絶賛する。社会民主党だけが反対票を投じるが、議場から追放されてしまう。ユダヤ人が国外に退去するとたちまち都市の相貌は激変する。非ユダヤ人がユダヤ人の事業や邸宅、自動車といった財産を引き継ぎ、人々は劇場で席をとるために行列に並ぶ必要もなくなったし、生活は以前よりシンプルに、より健全に、静粛なものになったと感想をもらす。しかし、すぐに不況が始まって失業者が増え、活動の場を失ったキリスト教徒の芸術家・学者・医師が亡命するようになる。残った人々はアルプス山中で着るような服を着て歩き回り、女はふくらんだスカート、男は短いズボンをはき、先の尖った緑の帽子をかぶり、濃緑褐色の背広を着る。カフェでは閑古鳥が鳴き、街の人々は互いに「ハイル(万歳)」と挨拶を交わすようになる。結局、市はユダヤ人が必要であると判断し、彼らを呼び戻すことを決定する。 この小説は傾聴すべき予言を含んでおり、天才的なひらめきがあったとも評される。しかし、著者ベタウアーはユダヤの煽動者であるとして極右勢力から弾劾の的となった。1925年、歯科技工士のオットー・ローストックが5発の銃弾をベタウアーに撃ちこんで彼を殺害した。裁判はなされたものの被害者の方がむしろ非難され、ローストックは寛大な刑に処せられ、のちにナチスによって釈放された。
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