博物館構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 06:37 UTC 版)
広島市にある比治山は、戦前市民の憩いの公園であったが、戦後アメリカ軍が接収し比治山陸軍墓地を壊して原爆傷害調査委員会(ABCC)を設置、更にABCCは被爆者の治療は一切せず“調査”のみであったことから当初からその存在は市民に忌み嫌われていた。のちABCCは放射線影響研究所に改編され当地に残るが施設の老朽化もあって移設が考えられていた。1980年広島市は政令指定都市移行を機に、放射研を移転し比治山を公園として再整備する「比治山芸術公園構想」を公表した。この中で広島市現代美術館や広島市立まんが図書館などとともに構想されたのが、移民に関する資料を展示する博物館を造ることであった。このときに在外の移民が広島市に史料を提供したという。市は放射研の移設地を用意し、放射研は新施設建設計画を取りまとめたものの、運営者の一つであるアメリカ政府が財政難を理由に難色を示したことから移設は頓挫、その跡地で建設する予定だった移民博物館計画は1998年に一旦凍結した。 同じ頃、海外送出数の多い地区である南区仁保の人物がハワイ移民の歴史を知ってもらおうと叔父が所有する土蔵を改築し1997年「ハワイ移民資料館仁保島村」を開館した。個人が所有・管理する資料館であり、事前に予約した場合のみ開館する。 2006年、JICAの協力を得て広島市はネット上に広島市デジタル移民博物館を公開した。ただ当初は間違いだらけの情報が公開されており、地元紙中国新聞は「間違いだけが問題なのではない。いわば身一つで渡り、異文化の世界を生き抜いた先人への思い、足跡を記録する意思が欠落している」と痛烈に批判、市は謝罪することになり公開から40日で閉鎖した。現在公開されている「広島市デジタル移民博物館」は改めて公開したものである。 放射研を移設し比治山を平和の丘として整備し、その中で移民資料館を建設する構想は2017年から再び検討に入っている。また旧日本銀行広島支店の2・3階を利用して移民の資料を常設展示することが決定しており、開館は2019年以降のことになる。
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