写真史家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 03:42 UTC 版)
梅本は論文執筆以外にも、写真史学の組織化を目指した。教育機関での、写真史教育、写真資料展の運営、初期写真師顕彰活動、学会創設、写真資料博物館構想、六月一日写真の日制定運動を推進する。写真史教育では、1929年開校したオリエンタル写真学校の外来講師、オリエンタル社を1934年退社した、木村専一が創設した武蔵野写真学校では1年間「写真史講座」を開いた。1937年東京三越百貨店で開かれた「ダゲレオタイプ発明百年記念写真文化展」で全国の資料所有者に連絡して写真資料の収集展示を行った。初期写真師顕彰事業として、1927年の下岡蓮杖碑設立や、1934年上野彦馬銅像設立への協力、1955年には蓮杖会を設立する。1936年梅本の主導で、「日本写真史学会」を設立した。昭和20年代にオリエンタル社や小西六の社史編纂に招聘された。彼の研究に基づく、多数の雑誌寄稿はあったが、単著の著作はないので、業績の割には知られていない。
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